「ぼく」というもの、「じぶん」というものは、<他者>である。
「自己とは他者である」と、かつて、フランスの詩人アルチュール・ランボーは書いたように、ぼくたちの「じぶん」というものの実質は、両親や兄弟姉妹、先生や友人、その他出会う人たちの<声>の集積のようなものである。
そのようにして「ぼく」というものをつくってくれている<人たち>は、ときとして、ただ一度きりの出会いで、ぼくたちの人生の舞台に登場した人であることもある。
そのような「人」に、ぼくは、ニュージーランドに住んでいたときの日記を読み返しているときに、ぼくの記憶のなかで、ふたたび出会う。
ワーキングホリデー制度によるビザを取得したぼくは、1996年、ニュージーランドの北島に位置するオークランドに降り立った。
とくに具体的で明確な計画は立てず、(旅ではなく)海外生活を体験すること、そして英語を習得することは、はじめから念頭に入れていたことであった。
そんな調子で生活がはじまり、はじめのころは、オークランドの中心街Queen Streetに沿ったところに宿をとっていた。
宿は、バックパッカー向けの宿で、ぼくはドミトリーに泊まっていた。
ドミトリーに泊まることは、それまでの2度にわたる海外への旅(中国、香港、ベトナム)で、ぼくは経験していたから、とくに抵抗感はなかった。
抵抗感がないというよりも、むしろ、一人旅をするものにとっては、「楽しい」場でもあった。
世界中の旅している人たちに出会うことができること自体の楽しさであり、また情報交換の場としても刺激的で有益であった。
この宿で、「あの方」に出会ったのは、ニュージーランドに到着してから1ヶ月も経過していない頃のことであった。
はじめオークランドに到着してから、その後の生活の見通しがうまくたたず、仕事も、また(よりパーマネントな)滞在先も、まだ決まっていなかった。
そこでまずは「動いてみよう」と、いったんオークランドを離れて、ファーム・ステイなどの体験をしてから、考えた挙句、ふたたびオークランドに戻ってくることにした。
オークランドに戻り、ふたたびバックパッカー向けの宿に落ちついた日、そこで、ぼくは、一人の年配の方に出会う。
どのように、この方とぼくが話しのきっかけをつくったのかは、覚えていない。
おそらく、彼が、ぼくに話しかけてくれたのだと思う、それも日本語で。
話し始めてわかったのは、その方は台湾の人で、お年は66歳ということであること。
今は、英語を学ぶために、オークランドに来ているとのことであった。
その日、ぼくは彼とすっかり話し込むことになった。
おそらく、「まだ若いんだから」と、ぼくはいろいろな角度から励まされ、またじぶん自身でも「まだまだ」と鼓舞したのだと思う。
そんなこともあるなかで、オークランドに戻ってきたぼくは、1週間後に、住むところ(共有ハウス)を見つけ、それから10日ほどして、日本食レストランでの仕事が決まった。
それまで、まったく「先が見えない」ところに、一気に、生活の土台が固められたのだ。
そして、そんな地点に立ってみると、これまでのいろいろなことが「理由があって起きた」ように感じられるのであった。
それにしても、20年以上経って振り返ってみると、ぼくの「あの方」との出会いは、「ぼく」という人間の地層にふりつもってゆく、豊饒な経験のひとつであったと、ぼくは思う。
たった一度の出会い、その出会いからぼくは1週間で宿を出たから、それほど長くは時間を共にしていない出会い。
けれども、66歳という年で、わざわざ台湾からオークランドにまでやってきて、学びつづけているという「生き方」に、ぼくは、ただ、心を動かされるのであった。
そのような人たちに、ぼくはその場での励ましをもらうだけでなく、さらに、その出会いが「じぶん」という人間の地層にふりつもり、ぼくを「支えて」くれている。