社会学者である見田宗介の新著『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書、2018年)の最後には、補章として、「世界を変える二つの方法」という文章が置かれている。
短い文章であるけれども、ここへの「到達」までには、見田宗介(=真木悠介)のこれまでの研究と実践が、幾重にも折り重なっている。
この魅力的な補章のなかで、見田宗介は、20世紀の歴史の「悲惨な成行」を振り返りながら、「世界を創造する時のわれわれの実践的な公準」として、つぎの3つを取り出している。
● 「positive」肯定的であること。
● 「diverse」多様であること。
● 「consummatory」現在を楽しむこと。
英語の頭文字が「小文字」であることには意味が付されていて、それ自体ひとつのテーマでもあるのだけれど、さしあたって、社会の全域を目指す公準ということではなく、いたるところの「小さな、自由なコミューン」の公準としてかんがえられていることだけを、ここでは指摘しておく。
見田宗介は、これらが取り出された背景としてある「20世紀の歴史の悲惨な成行」、それからこれら3つのことに、簡潔に説明を加えている。
ぼくが惹かれたのは、「diverse 多様であること」に関する、見田宗介のつぎの「言葉の書き換え」である。
宮沢賢治の詩稿の断片に、このような一説がある。
ああたれか来てわたくしに言へ/「億の巨匠が並んで生まれ、/しかも互いに相犯さない、/明るい世界はかならず来る」と
われわれはここで巨匠の項のコンセプトに、幸福をおきかえてみることができる。
億の幸福が並んで生まれ、/しかも互いに相犯さない、/明るい世界はかならず来る。と
明るい世界の核心は、億の幸福の相犯さない共存ということにある。
見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年
「多様性」という、さまざまな場や局面で触れられる抽象的な言葉に、より具体的なイメージを重ね合わせてゆくように、<億の幸福の相犯さない共存>ということが書かれている。
ここでの「幸福」は、広い意味のなかで捉えられるものであり、そこに包括される言葉(あるいはそれを包括する言葉)として、ぼくは「生き方」におきかえてみたい。
億の生き方が並んで生まれ、/しかも互いに相犯さない、/明るい世界はかならず来る。と
ところで、「虹」のイメージは、「多様性」の象徴として使われることがある。
そのイメージは、6色として使われたり、7色として使われたりしているから、「億」の色には到底程遠いという見方もある。
けれども、6色として見るのも、7色としても見るのも、あるいはその前後の数で色を見るのも、「特定の見方」に規定された色たちである。
実際の虹の連続体は、そこに「グラデーション」が連なっているから、見方を変えれば、数えきれない「虹の色」をもっていると見ることもできる。
たとえば「黄色」をとってみても、「いろいろの黄色」がある。
人は、その「人生においてそれぞれに違った色を生きてゆくことができる」という多様性に、「明るい世界」の核心がある。
「億の幸福」「億の生き方」が並んで生まれ、互いに相犯さない、明るい世界の方へと、人と社会は舵をとることができるところに、現在ある。