TV番組『America's Got Talent(アメリカズ・ゴット・タレント)』(略称:AGT)は、公開オーディションの形で才能を競い合うTV番組。
歌手(歌を歌う人)、ダンサー、マジシャン、曲芸者、コメディアンなどなど、年齢も出身もさまざまな人たちがオーディションで競い合う。
現在はすでに「Season 13」を迎え、今回も、さまざまな人たちが、才能や創造性を披露している。
YouTubeでも公式アカウントがあり、オーディションやその背景を切り取ったものがアップロードされ、だれでも見ることができる。
ふつうただ見るだけでも面白く、またときに、見せてくれる芸に感動させられる。
さらに、ぼくの「見方」(楽しみ方)のひとつは、オーディションを通過し勝ち上がってゆくプロセスでの「成長度合い」である。
たとえば、1回目のオーディションよりも、2回目のオーディションの方がはるかに、よくなっていたりする。
緊張が和らいだという側面もあるかもしれないけれど、それ以上に、パフォーマンスを披露する人のなかで「何か」がはじけたような、あるいは解き放たれたような、そのようなパフォーマンスを見ることができることがある。
この番組のクリエイターであり、審査員でもサイモン・コーウェル(Simon Cowell)は、審査員として芸を披露した参加者にコメントするときに、ときおり、このことを参加者に直接に伝えることがある。
また、「成長度合い」が、1回のオーディションの中で、引き上がるようなこともある。
サイモン・コーウェル(Simon Cowell)は、歌を披露している人たちのオーディションを「途中で止める」ことがある(「Season 13」でも何回か見られる)。
歌の選曲が、その人の才能を充分に引き出していないと感じ、躊躇なく、途中で止める。
サイモン・コーウェルの提案にしたがって、曲を変え、再度仕切り直しで歌う参加者から、より生命感を感じさせる歌声が放たれる。
1回のオーディションのなかで、才能がひきだされ、ぼくたちは、その場面を目の当たりにすることができる。
ぼくは、そのような場面を、楽しく、心を動かされながら、観ている。
それにしても、番組は、当たり前だけれど、世の中の動きとも呼応していて、「多様性」が、ますます反映されてきている。
世界中からの参加も増えているように見受けられるし(人種の多様性)、また参加者が生きてきた背景(例えば、障害をもつ人、いじめられた経験をもつ人)なども多様だ。
合唱団の構成自体が、年齢や人種や性などの多様性に充ちていたりする。
「芸」だけでなく、その人やグループの背景、あるいは個人史やグループ史の「物語」というもののぜんたいが、観る人たちの「評価」に影響している。
多様性に充ちた参加者たちの生が、このオーディションで交差し、それぞれに花をひらかせようとする(ほんとうは<花>はすでにひらかれている)。
そして、ぼくたちは、日々、いろいろな場所で、いろいろな才能に充ちた人たちと交差している。