<生ききる>ということを、かんがえる。
つぎのような、ぼくの「ライフ・ミッション」に書いた言葉である。
「子供も大人も、どんな人たちも、目を輝かせて、生をカラフルに、そして感動的に生ききることのできる世界(関係性)をクリエイティブにつくっていくこと。」
この「ライフ・ミッション」の最初のドラフトをつくっているときには、「生ききる」ではなく、「生きる」としていた。
「生きる」から「生ききる」になった背景と経緯について、以前のブログでつぎのように書いた。
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「生きる」から「生ききる」へ。
自分の「ライフ・ミッション」を書き直しているとき、その中のことばの一つとして、「生きる」、とはじめに書いた。
それから、「生きる」に「き」の一文字を加えて「生ききる」とした。この加えた「き」は、英語で言えば、「fully」の意味を宿す。
Liveだけでなく、Live fully。生ききること。
人によっては「重く」聞こえるかもしれないけれど、今のぼくには、しっくりくる。
<ただ生きること>の奇跡を土台としてもちながら、この生を<生ききること>。
「一文字」に、気持ち・感覚(と、さらには生き方)を込める仕方を、ぼくは、宮沢賢治に学んだ。
宮沢賢治が、1931年11月3日に、手帳に書き込んだ、有名なことば。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダをモチ…
宮沢賢治
宮沢賢治が書き付けた「直筆」を見ると、ことばの間隙から、宮沢賢治の「声」が聞こえてくる。
直筆から見ると、最初の「原型」はこのような、ことばであった。
雨ニマケズ
風ニマケズ
雪ニモ夏ニモ…
宮沢賢治は、「雨ニ」と「風ニ」のそれぞれの後ろの横に、若干小さい文字で「モ」を加えている。
このこと(と直筆を見る面白さ)を、名著『宮沢賢治』(岩波書店)の著者、見田宗介から学んだ。
見田宗介は宮沢賢治生誕100年を迎えた1996年に、宮沢賢治研究者である天沢退二郎などとの座談会で、このことに触れている(「可能態としての宮澤賢治」雑誌『文学』岩波書店)。
宮沢賢治が、この「一文字」に込めたものに、ぼくは心が動かされた。
その記憶をたよりに、自分の「ライフ・ミッション」を手書きで書きつけながら、ぼくは「生きる」に「き」を加える。
「生ききる」
ことばを、ぼくの身体に重ねてみて感覚を確かめる。
そうして、ぼくの身体とそのリズムがことばに「Yes」と言う。
たったの「一文字」が、世界の見方や生き方を変えることがあることに、気づかされた。
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このように生成してきた言葉とライフ・ミッションであるが、<生ききる>は、上述のように、人によって、あるいは文脈によって、「重く」感じられることもある。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ、風ニモマケズ…」の語感がどこか重さを背負ってしまっているように感じるのと同様である。
それは、人類の歴史において、<近代>という時代を駆動してきた精神、例えば、「時間を無駄にしてはならない、時間は金なり」というようなイメージがすりこまれているように、聞こえるからである。
どんな些細な時間も、将来の「何かのため」に、すみからすみまで活用されねければならない、というようにかんがえる人もいる。
でも、ぼくの「生ききる」は、別に、ゆっくりするのもいいし、またとことん行動してもよい。
<生ききる>ことにおいて、ぼくにとって、肝要なことは、
- <現在を生きる>ということ、
- <じぶんの生>を実現してゆくということ、
である。
これらを基礎としながら、<生ききる>と<ただ生きる>は対立していない。
「生ききる」は行動に充ちた生、<ただ生きる>は行動に欠ける生といったように、逆に聞こえるけれども、それは、前述のような、近代の精神における「思考の癖」のようなものだ。
そんなことが、シャワーに浴びる直前に、ぼくの脳裡に、ふと現れ、少しかんがえさせられた。
また、「生ききる」の代わりとして、<生きつくす>という言葉もよいなと、真木悠介(=見田宗介)の名著『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)の「最後の一文」を思い出す。
「生のあり方」を考察する最後の節で、真木悠介はつぎのように書いて、この本(の本文)を書き終えている。
人類の歴史はたとえみじかいとはいえ、一億や二億の年月はおそらく生きつづけるであろうし、その最初の百分の一ほどの歴史のなかに解答を見出せなかったからといって、われわれの想像力をその貧寒なカタログのうちにとじこめてしまってはならないだろう。
われわれとしてはただ綽々と、過程のいっさいの苦悩を豊饒に享受しながら、つかのまの陽光のようにきらめくわれわれの「時」を生きつくすのみである。
真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房、1977年
そう、ぼくたちは、「つかのまの陽光のようにきらめく」生を、<生きつくす>のみである。