国際協力・国際支援ということにおいて、その風景はしばしば、「子どもたちの笑う風景」として、写真や映像において切り取られる。
屈託のない、どこまでもひろがってゆくような笑顔が、それらから見るものに伝わってくる。
逆に子どもたちの「悲惨な状況」が切り取られて伝えられることもあるけれど、それとは対極に位置するように、「笑う姿」がメディアに映し出される。
そこには、見るものに対し、国際協力・国際支援といった支援への「支援」や「理解」を要請する意図が織り込まれる。
子どもたちのいっぱいにひろがる笑顔に触発され、メッセージを発する者の意図に応答するように、「(金銭的/非金銭的)支援」を提供する人たちがいる一方で、個々の経験の回路が作動して、これらのイメージに「作られたイメージ」を読み取って抵抗感を感じる人たちもいる。
それらの異なる「反応」は、そこには個別の経験を含めいろいろな力学が作動しているから、その背景や理由は一概には言えない。
けれども、ぼく個人の経験に照らし合わせると、「子どもたちの笑う姿」は、国際協力・国際支援ということの「現場」において、そこで働く/活動する者(つまり、ここでは「ぼく」)の気持ちや行動を積極的に駆動したものである。
2002年、西アフリカのシエラレオネにおける難民キャンプで、リベリア難民の小さな子どもたちが、ぼくにふりむける笑顔が、どれだけ、ぼくに力を与えてくれたか、ということのなかに、経験されている。
国際協力・国際支援の「現場」は、(場所や状況にもよるけれど)一般にかんがえられるようなところではないかもしれない。
写真や映像というものが、現実の一部のみを切り取るものであるように、現場で働く者にとって、「子どもたちの笑顔」だけを見ているのではないし、「悲惨な状況」だけを見ているのでもない。
また、以前の「ボランティア」というイメージに塗り込められていたような、「仲良く、わきあいあい、楽しい」協力・支援という場面(だけ)ではない。
「現場」での仕事は、「なんとなく」という仕方での関わり合い方ではやっていけないし、「プロフェッショナルさ」が求められる。
組織を運営したり、人と関わる際に起きるであろう問題や課題や困難にしばしば直面しながら、また先進産業地域に住む者にとっては「思いもよらない」ような状況にも出くわしながら、プロフェッショナルとして、プロジェクトを進めていかなければならない。
「それでも」という接続詞で、ぼくは文章をつなぐ。
「笑顔」だけで出来上がっている世界ではまったくないけれど、「それでも」と、ぼくは書き続ける。
それでも、「子どもたちの笑顔」は、現場に生きる/現場で働く人たちの「奥深く」に届く。
先進産業地域の環境に生きる人たちが<写真や映像に切り取られて見る世界>のひとつの典型的な形式であるだけでなく、現場に生きる/現場で働く人たちにとっても、現場の世界は「子どもたちの笑顔」で切り取られる。
少なくとも、「ぼく」にとっては、子どもたちの笑顔は、そのようなものとしてあった。
シエラレオネの難民キャンプで子どもたちにふりむけられる笑顔とはにかみ、東ティモールの村々でぼくにまっすぐに届けられる子どもたちの笑顔と歓声、等々。
それらは、写真や映像ではなく、その時、その場におけるリアリティとして、経験される。
子どもたちがぼくにふりむける笑顔に生かされ、よりよい「未来」を想像し、また創造のための思考や行動や努力に向かう気持ちに火を点火する。
そのように触発される力は、ぼくの中の、ずっと奥深いところからやってくるようなものとして、感じられる。
それは、「人がよろこぶことを人はよろこぶ」という欲望の構造からなのか、あるいは「人間」にあらかじめ装填された自己を解き放つ装置が作動したからなのか。
「子どもたちが笑う」風景は、写真や映像のなかだけでなく、国際協力・国際支援という「現場」においても、ひとつの<真実の風景>として、ぼくの日々の中で経験されていた。