東ティモールに住んでいたときに、ぼくの心身が揺さぶられたこととして、「挨拶」ということがあった。
挨拶のことばの響き方であり、より正確には、挨拶のことばの「届き方」であった。
「届き方」ということは、ある人がある人に挨拶のことばを届けるとき、その「ことば」がどのように伝わってゆくのかということである。
東ティモールの人たちの「挨拶」は、そのことばと響きが、直球で、かつそこに生きることの原初的な歓びをもって、ぼくの心身に伝わってくるような、そのような挨拶のことばであった。
東ティモールで話される言語は「テトゥン語」と呼ばれる言語である。
しかし、日常に交わされる言葉の中には、東ティモールの歴史の足跡を残すように、ポルトガル語、またインドネシア語が、いろいろな仕方で混じってくる。
「挨拶」のことばも例外ではなく、ポルトガル語の「おはよう」(Bondia)などがふつうに使われる。
例えば、「おはようございます。お元気ですか?」は、「Bondia. Diak ka lae?」のように会話される。
このような言語の使われ方もまた興味をひくところであるけれども、ぼくをとらえてやまなかったのは、そのことばの「届き方・届けられ方」であった。
挨拶のことばが発音されるときの「声の大きさ」が、まずは大きいこと。
お腹の底から響いてくるような声の大きさと響きは、例えば「ボソボソとした挨拶」に慣れてしまっている身体には、ひとつの驚きのようなものとしてやってくる。
ただ、声が大きいだけであれば、そのような人たちは世界のどこにもいるから、「驚き」で終わってしまっただろう。
「驚き」を超えて、それがぼくの心身を深く揺さぶったのは、挨拶のことばが、じぶんに伝わってくるときの「伝わり方」である。
竹内演劇研究所を主宰していた竹内敏晴(1925-2009)は、幼い頃の難聴とことばの困難のなかで、じぶんの声とことばが「ひらかれる」ことの経験とメルロ・ポンティの現象学を基礎にして、<からだとことばのレッスン>を展開していった。
竹内敏晴は、人間のからだのぜんたいが他者にいきいきとはたらきかけることにおいて、その現象の音声的なパートが「声」や「話しことば」であるという認識に立っている。
そんな竹内敏晴の<からだとことばのレッスン>のなかに、「話しかけのレッスン」というレッスンがある(竹内敏晴『<からだ>と<ことば>のレッスン』講談社現代新書、1990年)。
その形式のひとつは、四、五人の人に好きな方向を向きながら床に座ってもらい、二~三メートル離れたところにいる人がそのうちの一人に短いことばで話しかけ、座っている人たちのなかで「話しかけられた」と感じた人は手をあげるというものだ。
とても「簡単な」レッスンの形式なのだけれど、内実はそれほど容易ではないようだ。
聞き手は「話しかけられた!」とはすぐにはならず、発話されているにもかかわらず声がじぶんに届いてこない。
聞き手の感想は、たとえば、「声がじぶんの手前で落ちた」とか、「みんなに言っているようだ」とか、「通り過ぎて行った」とかである。
竹内敏晴は、このことについて、つぎのように書いている。
声が私まで届いて来ない、とか、もっと手前で落ちてしまった、とか言うけれども、考えてみると、声そのものはちゃんと聞こえているわけだ。文としてのことばの内容も理解できている。にもかかわらず、自分に話しかけてくれてるかどうかと耳を澄ましてみると、さまざまに違った形が見えて(聞こえて)くる、ということは、話しかける、とは、ただ声が音として伝わるということとは別の次元のことだということだろう。
…即ち、からだへの触れ方を、声はするのである。声はモノのように重さを持ち、動く軌跡を描いて近づき触れてくる。いやむしろ生きもののように、と言うべきであろうか。
竹内敏晴『<からだ>と<ことば>のレッスン』講談社現代新書、1990年
竹内敏晴の実践と生きられる理論は鮮烈である。
東ティモールでの、ぼくの経験も、竹内敏晴の<眼>で見てみると、その一端をつかむことができるように思う。
東ティモールでぼくに届けられる「挨拶」のことばは、もしそれが「話しかけのレッスン」の場であったとしたら、「聞き手」のぼくは、話し手の声が発生されるやいなや、すぐさまに「話しかけられた!」と手を挙げることができるような声であり、ことばであった。
そのような「挨拶」のことばに、いつしか、ぼくの身体もつられるようにして、同じような挨拶のことばと声を、他者たちに届けていた。
東ティモールの同僚たちに向かって、あるいはコーヒー生産者たちの村々に入っていってときに彼(女)らに向かって、竹内敏晴が言うように、まるで声が「モノのよう」であるように、ぼくは挨拶のことばを届けた。
そして、そのような<ひらかれた身体>が、心のひらかれ方にも通じているように、ぼくは感じたものだ。
東ティモールでの挨拶の「声」と「ことば」は、このようにして、ぼくの心身を、根底から揺さぶったのであった。