世界で、いろいろな「支援の手」が、さしのべられている。
紛争においても、自然災害においても、事故においても、それぞれの現場で、ふつうには想像もつかないような、危険を背負った支援がおこなわれる。
助ける側も助けられる側も、生死や大事、あるいは人生や生活がかかってくるような状況におかれることもある。
そのようななかで、どうしてそこまでできるのだろう、と思うほどに、人は全身全霊で立ち向かってゆく。
「どうしてそこまでできるのだろう」という問いの後ろには、何が人をそうさせるのだろうか、という思いと疑問がある。
そこへの「回答や推測」は、語る人の立ち位置によって、あるいは語る人の視点によって、さまざまである。
純粋に利他的な行動であるという語り、信念に基づく行動であるという語りから、なんらかの「利得」のためだという語りまで、いろいろだ。
そして、それらの「語り」は、それぞれにおいて、それぞれの真実の一面を語るものでありながら、すべてを語りつくすものではないように聞こえる。
それでも、実際に出来事が起きている「現場」では、人は、<何かの衝動>につきうごかされるように、じぶんという「個」をさしおいて、ときにじぶんを犠牲にする仕方で、助けの手をさしのべたりする。
ぼくも、「何かの衝動」につきうごかされるように、国際協力・国際支援の道を歩み、紛争後の西アフリカのシエラレオネ、それから紛争後の東ティモールで、NGOの活動を担っていた。
シエラレオネでの難民キャンプの人たちや帰還民の人たちへの支援、東ティモールでのコーヒー生産者たちへの支援、それらの「現場」に立つことになって、ぼくはできることをしながら、いろいろとかんがえてもいた。
日々は、雑用もあり、解決しなければならない事柄でいっぱいで、また「仕事」をこなしてゆく過程でもあり、いつもいつも「何かの衝動」につきうごかされているわけではない。
「支援」の現実にまとわりつく、いろいろな局面に対処してゆかなければならない。
それでも、緊急な状況、差し迫った状況、あるいはそのような間隙において、ぼくは、じぶんの深いところからくる「何かの強い衝動」につきうごかされるような感覚をもって、活動する。
それ以上を問うことができないような「何かの衝動」に動かされているように、ぼくは感じたものだ。
そのように感じた衝動と限定された経験のなかで、ぼくは、世界の、さまざまな「現場」に生きているであろう、この「衝動」のことを思う。
任務や仕事としてくくられる行動のなかにも、<助けの手>をさしのべることの「衝動」が、個々の身体の奥深くに息づいている。
世界のそれぞれの「現場」からのニュースを見聞きしながら、そんなことを思い、また、安全に<助けの手>がとどくとよいと、ぼくは気持ちを向ける。