音楽家のジェイソン・ムラーズ(Jason Mraz)の新作のアルバム『Know.』は、すてきなジャケットデザインと共に、すてきな曲たちに彩られている。
そのなかに「Making It Up」という作品がある。
軽快なリズムの曲だけれども(あるいは軽快なリズムに意図的にのせる仕方で)、その歌詞は、ときに、とても深い次元をすすんでゆく。
曲はつぎのような歌詞にはじまる。
Yeah, well, I may go
Through this life
Never known” who I am
And why I’m here
And why I’m doin’ what I’m doin’
Jason Mraz “Making It Up” 『Know.』 *Apple Musicより。
「じぶんが誰なのかわからないままに、ぼくは人生をくぐりぬけてゆくんだ」と歌詞は、軽快なリズムと軽快な歌声とともに、はじまる。
「ぼくはなぜここにいるのだろう。ぼくはじぶんがしていることをなぜしているのだろう」という具合だ。
それでも、歌詞の軸は、「ぼくと君」がここにいるから人生は大丈夫なんだと、軽快さを保つのである。
ぼくを捉えるのは、終盤に近づくにつれて、つぎのような歌詞が現れるところである。
Well, there’s more to this life
More than what you see
It’s true what they say
That life is but a dream
So row your boat gently
Gently down the stream
And keep dreaming’ your dream
Jason Mraz “Making It Up” 『Know.』 *Apple Musicより。
「この人生には見えるもの以上のものがあるんだ」という言葉につづき、「life is but a dream」、つまり「人生は夢にすぎない」ことがほんとうなんだと、ジェイソン・ムラーズは歌う。
「だから、舟をゆっくりと漕ごう」ということなのだが、これは、英語の古い漕ぎ歌、「Row, Row, Row Your Boat」という民謡から来ていると考えられる。
この漕ぎ歌は、つぎのようにはじまる。
Row, row, row your boat
Gently down the stream
Merrily, merrily, merrily, merrily
Life is but a dream
「Row, Row, Row Your Boat」*Wikipedia “Row, Row, Row Your Boat”より。
「人生は夢にすぎない」という確信のもとに、それだから<なんの意味もないんだ>という方向にはではなく、舟をゆっくり漕ごう、そして、<夢を見つづけるんだ>という方向へと、この歌の「ぼくと君」は、軽やかに、あゆんでゆく。
社会学者の真木悠介は、上述の(と思われる)イギリスの古い漕ぎ歌に、インドの舟人ゴータマ・シッダルタの歌う歌を重ねあわせながら、つぎのような詞を人生に鳴り響かせながら、また著作『旅のノートから』(岩波書店、1994年)の扉においている。
life is but a dream.
dream is, but, a life.
真木悠介『旅のノートから』(岩波書店、1994年)
「人生は夢にすぎないけれども、この夢こそが人生がなんだ」という<生き方>。
ジェイソン・ムラーズの「ぼくと君」も、この<生き方>に共振するように、この今の時代を、軽快に、そしてゆっくりと、あゆんでゆく。
ぼくたちひとりひとりの「自己幻想」、また「ぼくと君」とがいだく「共同幻想」、それらをそのものとしながら、その幻想(夢)を見つづける方向に、ぼくたちはじぶんたちの生を豊かにしてゆくことができる。
この認識は、人生の行き止まりではなく、ひとつの解き放たれた「世界」である。
それにしても、イギリスの古い漕ぎ歌「Row, Row, Row Your Boat」の世界はすごいものだ。
あの短いなかに、ある意味で、<生きることの思想>が端的に、そして真実をつくように語られている。