2000年前後の頃、中国語を専攻する大学生であったぼくは、ようやく本を読むようになって、その「世界」に次第にひきこまれ、哲学書にまで手をひろげていった。
経済発展の著しい中国を見据えて中国語を学び、また「国際関係論」という領域にも踏み込みながら、実務・実践とは離れたところに、ぼくの興味関心はどうしてもひかれてゆくのであった。
だからといって、思想や哲学にどっぷりとつかったわけでもなく、デリダやレヴィナスなどに触れようと試みては、さまざまに書かれている入門書の段階でつまずいていた。
簡易に書かれているはずの入門書を読んでもまったくわからず、入門の門さえもくぐれないような状況であった。
だから、思想や哲学などのぜんたいには惹かれながら、個別にはなかなか入っていけなかった。
そんな折、ぼくはぼくにとっての「師」、見田宗介=真木悠介先生の著作群に出会ったことから、ぼくにとっての学びの風景が一変してゆくことになった。
その後も、見田宗介=真木悠介先生の著作群を導きの糸としながら、そこで言及される思想家や哲学者などに触れてきたのだが、彼ら・彼女たちの文章は、見田宗介=真木悠介を経由する仕方で、ぼくは理解していったのであった。
そのような状況が変化してゆくのを、ここのところ、内田樹『レヴィナスと愛の現象学』(文春文庫、2011年)を読みながら感じることになる。
内田樹の読解を通じてではあるけれども、あの、入門書でさえまったく理解できなかったレヴィナスの哲学を、ぼくなりに理解できるようになったことである。
「ぼくなり」というのは、「今のぼく」が読解できる深度において、という意味である。
リトアニア生まれで、ホロコーストを生き残ったフランス国籍のユダヤ人哲学者であるエマニュエル・レヴィナス。
20年近く前読もうとしたレヴィナスは、ぼくの未熟な経験と浅い読解力からは、はるかに遠くにあるような存在であった。
内田樹という思想家・武道家の「導き」によって、ぼくはそのはるか先に存在した稜線に少しは近づいたようだ。
「導き」によっているとしても、その「導き」でさえ、以前のぼくであればまったくわからなかっただろうと思う。
それでは、このおよそ20年に、ぼくは何を「通過」してきたのだろうか。
理由としては、大きくはつぎのように分けられるものと思う。
- 経験
- 読解力
二つ目の「読解力」は、さらには、論理と語彙のそれぞれの力に分けられる。
実際に生きるという経験のなかで生き方の幅をひろげながら切実な問題をふくらませ、またさまざまな本にふれるという経験のなかで、いろいろな視点にふれ、読み方を学び、語彙を知る。
未熟な経験とうまくいかない状況の経験の重なりのなかで、生きる経験の地層が厚くなってゆく。
今でも未熟さをいっぱいにもちながら、それでも(それだからこそ)、生きる経験の地層ができてゆく。
レヴィナスが読めなかったじぶんと、ようやくその入門の門にさしかかることのできるじぶんとの「あいだ」には、そのような歩みがあったのだろうと、ぼくは考えてみる。
そんなことを考えていたら、この本の「文庫版あとがき」で、内田樹がおもしろいことを書いているのを見つける。
レヴィナスを読む市井の、ふつうの人たちは、レヴィナス翻訳者の内田樹に対して、みんなが、「何が書いてあるのかよくわからないんだけれど、これは私が読まなくちゃいけないものだということは切実にわかった」のだと言ったのだという。
これに対して、内田樹は自身の経験に接続させながら、つぎのように書いている。
でも、そういうことってあると僕は思うんです。僕自身がそうでしたから。
先生の本をはじめて読んだとき、今から30年も前のことですけれど、僕には何が書いてあるかぜんぜん理解できなかった。けれども、「ここには私が早急に理解すべき人間的叡智が書き込まれている。人として理解しなければならないことが書き込まれている。これが理解できないうちは、私はちゃんとした人間にはなれない。」
そう直感的に思ったんです。
内田樹『レヴィナスと愛の現象学』文春文庫、2011年
「ちゃんとした人間」がどのような人間なのかは今でもよくわからないとしながら、他の西洋の思想家、たとえばマルクスやフロイトやニーチェなどを読んだときには、そこまで思ったことはなかったと、内田樹はつづけて書いている。
そして、読み始めてから30年のあいだに、多少なりとも人間的な「成熟」があったのだろうとしながら、その成熟もまた、レヴィナス先生のおかげであったと書いている。
レヴィナスの哲学を学ぶ道筋は、学ぶものが「未熟さ」を知るところから始まることに、他の哲学とは異なる特徴があるのだという。
本文を読んだあとに、このような「あとがき」を読みながら、ぼくはまたうなされてしまったわけである。
そして、このような内田樹に導かれることで、レヴィナスの入門の門に触れることができたのかもしれないと、やはり思ってしまうのである。
それにしても、20年ほど前にレヴィナスにはじめてふれたとき、なぜだか、ぼくも「ここに大切なことが書き込まれている」ように思ったことだけは、今でも覚えている。
書かれていることは、さっぱりわからなかったのだけれども。