TV番組『America's Got Talent(アメリカズ・ゴット・タレント)』(略称:AGT)は、公開オーディションの形で才能を競い合うTV番組。
今年は「Season 13」を迎え、今回もさまざまな人たち、歌手(歌を歌う人)、ダンサー、マジシャン、曲芸者、コメディアンなどなど、才能や創造性を披露してくれた。
その「Season 13」も、ついに「Winner 勝者」が決まり、その幕を閉じた。
番組ぜんたいを通してぼくを惹きつけたことのひとつは、参加者たちの<多様性 diversity>であった。
参加者たちの、人種、性、年齢、出身などの多様性、また彼ら彼女たちの歩んできた/歩んでいる生の多様性を感じることができた。
そのような多様性に充ちた「Talent タレント」たちが、自らの夢を追いもとめてゆく生において、AGTの舞台で交差し、そこでパフォーマンスを披露する。
AGTの「舞台」では、「Talent タレント」たちは、観客たちに見守られながら、また観客たちの歓声に彩られながら、<エネルギーの交感>のなかで、ときに、じぶんを超えるようなパフォーマンスを遂げてゆくようであった。
その交感は、たとえば、アレサ・フランクリン(Aretha Franklin)が「Amazing Grace」を歌うとき、聴衆たちの高ぶる声に振動するように自身の歌声のボルテージを上げていく様を、ぼくに思い起こさせる。
ぜんたいとして心に印象に残ったことをもうひとつ挙げるとすれば、「敗者たちの、すがすがしさ」である。
終盤戦に向かうにつれて、「勝者(通過者)」がいる一方で、もちろん「敗者」がいる。
準々決勝以降、「敗者たち」の「Elimination Interview 脱落インタビュー」が動画でアップロードされ、それらを興味深く、ぼくは視聴した。
「残念な気持ち」はやはりあるだろうけれども、それ以上に、「すがすがしさ」のようなものが、表情や声から伝わってくるように、ぼくには思える。
それは第一に、「やりきった・出しきった」というすがすがしさであり、また第二に、結果ではなく、それまでの「過程」に内在する充実感のあらわれとしてのすがすがしさであると、ぼくは見てとる。
さらに<結果>としては、その過程で、参加者たちそれぞれに「何か大きなもの」を獲得したことでもあるだろう。
これらの意味においては、けっして「敗者」なのではなく、だれもが<勝者>なのである。
なにはともあれ、見どころの多い「Season 13」であったし、個々のパフォーマンスを純粋に楽しむことができた。
来年の「Season 14」(もしあれば)も楽しみだ。