「体育座り」(あるいは「三角座り」)について、その「体育座り」を相対化し、そして止めることについて、以前のブログ(「体育座り」を止めること。- 海外の環境が助けてくれる「unlearning」のプロセス。)で書いた。
海外に出て、たとえば旅の途中で、あるいは西アフリカのシエラレオネで、また東ティモールで、小学校の子供たちを見たり接していたときも、「体育座り」を、ぼくは目にしなかった。
そのような実際の経験も手伝って、ぼくが小さいころ「ふつう」だと思っていたことがそうではないということを考えていたのであった。
日本の姿勢治療家である仲野孝明が「体育座りは、今すぐ止めなさい!!」とブログで書いているのを読んでいて、ぼくは海外での経験を思い出したのである。
この「体育座り」について、竹内演劇研究所を主宰していた竹内敏晴(1925-2009)が著書『思想する「からだ」』で書いていることを、思想家の内田樹の文章から知った。
竹内敏晴は、体育座りによって、いわば「手も足も出せない」ように子供が自身で自分を縛りつけていることを指摘する。
そのうえで、この姿勢が「息を殺している」姿勢であること、息をたっぷりと吸うことができない状態であることを述べている。
内田樹は、フランスの思想家ミシェル・フーコーを下敷きにしながら、竹内敏晴のことばを踏まえて、つぎのように書いている。
生徒たちをもっとも効率的に管理できる身体統御姿勢を考えた末に、教師たちはこの坐り方にたどりついたのです。しかし、もっと残酷なのは、自分の身体を自分の牢獄とし、自分の四肢を使って自分の体幹を緊縛し、呼吸を困難にするようなこの不自然な身体の使い方に、子どもたちがすぐに慣れてしまったということです。浅い呼吸、こわばった背中、痺れて何も感じなくなった手足、それを彼らは「ふつう」の状態であり、しばしば「楽な状態」だと思うようになるのです。
竹内によれば、戸外で生徒を坐らせる場合はこの姿勢を取らせるように学校に通達したのは文部省で、1958年のことだそうです。これは日本の戦後教育が行ったもっとも陰湿で残酷な「身体の政治技術」の行使の実例だと思います。
内田樹『寝ながら学べる構造主義』(文春新書、2004年)
ここで「身体の政治技術」ということは、フーコーの提示した考え方をもとにしている(「構造主義」のよき入門書である本書はとてもわかりやすく、この考え方を紹介してくれている)。
フーコーの考え方を基礎に、内田樹は近代日本、明治政府における、軍事的身体加工の「成功」(農民たちを兵士に仕立てあげて勝利した西南戦争の成功)を経て、「体操」を学校教育の現場に導入した過程を、わかりやすく追っている(ここはぜひこの本を直接に読んでいただきたい)。
近代国家は、例外なしに、国民の身体を統御し、標準化し、操作可能な「管理しやすい様態」におくことー「従順な身体」を造型することを最優先の政治課題に掲げます。「身体に対する権力の技術論」こそは近代国家を基礎づける政治技術なのです。
内田樹『寝ながら学べる構造主義』(文春新書、2004年)
海外に出て、より「不思議」に思っていた「体育坐り」ということを、姿勢治療家である仲野孝明が指摘する「健康」にかんする文章によって、ぼくの脳内のシナプスがつながった。
この「問題意識」が、フーコーの考え方で読み解く「身体」、また竹内敏晴の徹底した「身体実践」を架橋しながら、武道家でもある内田樹によってわかりやすく説明され、さらにシナプスが接合されてゆく。
「日々の生活」の功利的視点から入り、人類の歴史、そして学校教育にまで貫徹してゆくことで、よりひろがりと深さをもった視座で、「体育坐り」を見渡すところまでくることができたように思う。
その「地点」から見渡す「体育坐り」について、その理解の流れとポイントのみをメモとして、「ふたたび」のブログをここで書いた。