香港で、(12回目の)「中秋節」を迎える。- 子供たちの声と笑顔が台風のあとの夜を照らす。 / by Jun Nakajima

香港で、12回目の「中秋節」の日を迎える。

真夏の只中、店頭で「月餅 moon cake」が見られるようになり、また外に多くのとんぼたちを見るようになってから、あっという間に「中秋節」の日がやってくる。

中秋節は、伝統的に、旧正月、冬至と並び、香港の人たちにとって、とても大切な日である。

現代社会のなかにあって、いくぶんか、その内実の変容を経験しながらも、伝統と慣習の「灯」を灯し続けている。

中秋節の当日は香港の祝日ではないけれど(「中秋節の翌日」が休みになる)、たとえば、企業は慣習上、夕方や午後などに社員が「早帰り」できるようにしたりすることもある。

家族で一緒に食事をとり、家族は子供たちをつれて、夜の公園などにくりだす。

子供たちは、手に、いろいろにデザインされ、彩られた「提灯」(電池式など)をもち、闇夜を照らす。


そのような様子を見ながら、昨年2017年は、11回目の中秋節として、ブログ(「香港で、(11回目の)中秋節の夜を迎えながら。- 公園にくりだす子供たちの笑顔にみる「月明かり」。」)を書いた。

2018年も、公園にくりだす子供たちの笑顔が、まるで「月明かり」のようにかがやきに充ちているのを見ることができる。


今年の中秋節を迎えるなかで感じる「違い」は、1週間ほど前、香港の南を通り過ぎていった大型「台風」の影響である。

台風後の香港の「復旧」は、(場所や立場などによって、いろいろな意見があるだろうけれども)基本的にとても迅速であった。

ぼくの住まいのマンションも、その施設や敷地内の至るところに、台風による「被害」の痕跡が残っているし、いまだ復旧途中であったりする。

復旧の時間の経過のなかに、あのすさまじい「台風」の、そのすさまじさを実感させられるのである。

台風「前」に取りつけられていた、中秋節の飾りたちのいくつかは、結局、中秋節の当日になっても戻ってくることはなかった。

そのような風景と雰囲気が、いくぶんか、ただよっているように感じるのだ。

外が明るいうちに感じていたそのような風景と雰囲気であったが、夜、外に出てみて、それはぼくの「感覚」にすぎなかったのかもしれないと、思い直した。

台風に影響を受けた風景と雰囲気を溶解するように、子供たちの声と笑顔が、提灯の光とともに、雲に隠れる月に代わって、闇夜を照らしだしているのであった。