「星の国から」という極意伝授。- 河合隼雄著『働きざかりの心理学』を今読む。 / by Jun Nakajima

心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)の著作群のなかに、『働きざかりの心理学』(新潮文庫、1995年)という著作がある。

元の本は1981年に出版され、文庫化されたのが1995年。

2000年頃に一度手にとり、2018年の今、再び、この本を読んでみる。

出版から文庫化された月日(1981年から1995年)にも日本的な社会と組織と人の変遷があり、また、ぼく自身の月日(2000年頃から2018年)にも、経験の山と谷がきざまれている。

ぼく自身の経験には「働く」ということがあったし、また「人と組織」に傾注してきたところでもある。

 

そのような眼で読んでゆくとき、河合隼雄の本質的な議論は、今でも、たくさんのことを教えてくれる。

「人と組織」の現在的なあり様とは少し異なる雰囲気がある箇所もあるけれども、そのような箇所は読者が差し引いて読めばよいだけで、むしろ、河合隼雄の本質的な議論に、ぼくは惹かれる。

 

本のなかに、「星の国から」という、興味深い文章がある。

「行きつけの飲み屋で飲んでいたら、横に座っていた会社の上司と部下らしい人の会話が聞こえてきた。」(前掲書)という文章ではじまる。

この「話」が、ほんとうに飲み屋で河合隼雄が聞いたものなのか、あるいはある程度の創作が入っているのかは定かではないけれども、河合隼雄が書くように、確かに「なかなか面白い会話」である。

 

登場人物は、上司の部長と部下の2人である。

飲み屋の席で、部下は、「今日の会議」がうまくいったこと、それが上司である部長の「思いどおりの結果」であっただろうこと、会議の司会であった部長があまり努力もしていないように見えたけれども最後は「うまくまとまってしまう」こと、そもそも仕事全体でも部長のやり方はそのような感じであることを、上司に伝える。

「馬鹿なこと言うなよ、不熱心では部長はつとまらない」という部長に、食い下がる部下は秘術でもあるのかどうか、そして秘術があればぜひ伝授してほしい旨を話す。

秘術なんてものはないと前置きながら、部長は部下につぎのように応答していく。

 

上司「…確かに、会議も会社も大切だけどね、世界全体のなかで見れば、世界といっても宇宙のなかで見れば、そのなかの小さい星である太陽のまわりをまわっている衛星のひとつ、地球のなかでの、小さい小さい出来ごとだし、たとえ地球にだけかぎってもみても、地球の歴史のなかのごく僅かな部分をわれわれは生きているのだから。…だから仕事をしてゆくうえでも、地球外の星の国から見ているようなつもりで見ていると、皆がやいやい言っていることでも、それほど大きいことでもないように思えてくる。まあ、どちらでもいいことではないか、と思っていると、うまく収まってくる」

河合隼雄『働きざかりの心理学』(新潮文庫、1995年)

 

上司による「極意伝授」に対して、部下は、「どちらでもいい」としながらそれでも部長の思う方向にものごとが決まってゆくのはなぜかと、よい質問を投げ返す。

質問がなければそこで放っておこうと考えていた上司の部長は、さらに対話をつづけてゆき、つぎのようにしめくくっている。

 

上司「…だから両方のところのバランスが大切なのさ、人間に目が二つあるのは意味が大きいと思うな。ひとつは自分中心にものごとを見るし、ひとつは星の国からの視点でものをみる。そのバランスを保っていると、自然にうまくゆくのだよ」

河合隼雄『働きざかりの心理学』(新潮文庫、1995年)

 

この「面白い会話」の心を動かされたのは、第一に、世界や宇宙という空間軸、また歴史という時間軸の「とり方」、第二に、こんな会話を飲みの席とはいえ、とても自然に語る上司であること、そして第三に、これらを含め「どっしり感」の存在によってである。

もちろん、上司の考え方(そして生き方)に異を唱える人はいるだろうし、もう少し突っ込んで聞かなければいけない部分も会話のなかにはあるだろう。

それでも、やはり眼にとまるのは、このような個性あふれる人の存在であるようにも思う。

 

ぼくは、「世界で生ききる」うえで大切なこととして、<地球や宇宙>という視点をもつことがあるとかんがえている。

ぼくはそこにいろいろな「理由」を含めているけれど、一番端的な「効用」は、上司である部長が語ったようなところにある。

少なくとも、ぼくたちは<視点をかえる>という力をだれもがもち、この地球に、日々生きている。