なぜか「日本の風景」が心象風景にあらわれる久石譲の映画音楽。- <風景の地層>を、さらに降りてゆく。 / by Jun Nakajima

作曲家の久石譲。

ジブリ映画などの映画音楽をつくる作曲家として、よく知られている。映画音楽の作曲家としての「顔」があまりにもよく知られているが、映画音楽にかぎらず作曲家として音楽をつくり、指揮者であり、ピアニストであったりと、いろいろな「顔」をもっている。

ここ香港でもよく知られているようで、2018年、香港でのコンサートは、チケットがすぐに売り切れていたことを覚えている。席があれば行こうと思ってWebサイトをひらいたら、売り切れだったから、そのことをぼくは覚えている。

そんな久石譲が、解剖学者の養老孟司と対談をし、それをもとに出版されている『耳で考えるー脳は名曲を欲する』(角川oneテーマ21、2009年)。

この本を最近読み返している。ずいぶん長い現在進行形の読書である。読んでいて、かんがえさせられるところで立ちどまる。他のアーティストなどの名前や作品名がときおり触れられると、つい、いろいろと調べたくなったり、音楽家であれば作品を聴いてみたくなって、また読書から脱線してゆく。

そして、久石譲の作品を聴きたくなる。ジブリ映画のサウンドトラックを聴きたくなる。


そんなふうにたどりついて、ここ香港で、ジブリ映画のサウンドトラックを聴く。「天空の城ラピュタ」や「千と千尋の神隠し」などのサウンドトラックを再生し、流れてくる音楽に、ぼくは耳をむける。

すこしおどろいたのは、それらの音楽を聴いていたら、なぜだか、なつかしい「日本の風景」が、ぼくの心象風景にあらわれるのだ。

香港には日本のいろいろなものがいっぱいにあるし、とくに「ホームシック」的な感情をぼくは抱くことはないのだけれども、久石譲によるジブリ映画のサウンドトラックを聴いていたら、そのような感情がわきあがってきたのだ。

それは、他の日本の音楽を聴いてもわきあがってこない感情である。

音楽はそれ自体で「風景」をもつというよりは、それを聴く人がその(ような)音楽をどこでどのように聴いていたのかという個人史とのかかわりのなかで色合いをもつものである。だから、これらの音楽がぼくの実際の生活のなかで、どんなときに、どのように流れていて、どのように聴いたのか、ぼくはじぶんの記憶をめぐってみたけれど、なかなか「これだ」という記憶が思いつかない。

異国で「千と千尋の神隠し」のDVDを観ていたことがあって、そのときの感情とつながっているのかと思ったりするのだが、やはりよくわからない。


そんな記憶や感情にいろいろと思いをめぐらせていたら、なつかしい「日本の風景」は、たんなる日本の風景というよりは、いわば、その<風景の地層>をさらに降りていったところにある風景であるように感じられる。

「映画音楽」は製作者側からの注文がはいるから、「自由に」音楽をつくることができるわけではないが、それでも、久石譲の構築する音楽には、そんな<風景の地層>を降りてゆくような響きがあるのかもしれない。

そのように感じてくると、「日本の風景」というよりも、<普遍的な地層>というところと言ったほうが、ぼくにとって、より正確であるように思える。


けれども、久石譲は情感豊かに音楽をつくってゆくというよりは、それとは逆のように見える仕方でつくっているようでもある。


 作曲の仕事をしていると、「その閃きはどこから出てくるんですか?」とか「どんな時にいいメロディーが閃くんですか?」といった質問をよくされるんです。でも正直なところ、困ってしまうんですね。僕自身は別に閃きだけで音楽をつくっているつもりはないので……。音楽というのはドレミファソラシドの中にある12の音を組み合わせていくしかないわけです。要するに、作曲とは限られた音の中での構築作業であって、何かパッと閃いたものを次々出していけばいいというものではない。
 モチーフとなるメロディとかリズムとか、そういう一つの取っかかりは確かにあります。でもそれは、とりとめのない思いつきでしかない。それをどうしたらうまく形にできるか、どうやったら有機的に結合させていけるのか、そういうことを考えながらつくっているんです。…

養老孟司・久石譲『耳で考えるー脳は名曲を欲する』(角川oneテーマ21、2009年)


養老孟司との対談では、このような「構築される」ものとしての音楽、音楽をつくるときの「意識」のこと、音楽制作と「システム」などの興味深い話がつづいている。

そんななかで、つぎのように久石譲が語っている部分を、最後にとりあげておきたい。


 僕は音楽というのは、つくった人間の強い意識というものから離れてくれることが、重要なことだと思っています。もちろん、「これは、俺の書いた曲!」というのを主張したい人は、それはそれで構わないですけど、僕自身はどうではありたくない。

養老孟司・久石譲『耳で考えるー脳は名曲を欲する』(角川oneテーマ21、2009年)


つくった人間の強い意識というものから離れてくれること。

ここに、音楽にかぎらず、さまざまな「創作」ということにおける核心のひとつが語られているように、ぼくには聴こえるのである。