作家の橋本治からの「宿題」(仮想的宿題)。- ぼくの本棚にならんでいる5冊から。 / by Jun Nakajima

2019年1月29日、作家の橋本治さんが亡くなられた。

ぼくが橋本治の著作を読み始めた直接的なきっかけは、思想家・武道家である内田樹が橋本治を語っているのを読み、またお二人の対談本(『橋本治と内田樹』)を読んだことであった。日は浅く、2018年のことである。また、橋本治さんが亡くなられたのを知ったのも、内田樹のホームページ(「内田樹の研究室」)に掲載された「追悼」のブログからであった(「追悼・橋本治」「追悼・橋本治その2」「追悼・橋本治3」)。

ぼくの本棚(とはいっても、電子書籍の本棚)には、まるで橋本治さんに「宿題」をいただいたかのように(まだすべて読めていない本棚の本を読むという「仮想的宿題」をいただいたように)、橋本治の著作が5冊ならんでいる。


● 『九十八歳になった私』(講談社、2018年)
● 『これで古典がよくわかる』(筑摩文庫、2001年←ごま書房、1997年)
● 『21世紀版 少年少女古典文学館第一巻:古事記』(講談社、2009年)
● 『生きる歓び』(角川文庫、1994年)
● 『上司は思いつきでものを言う』(集英社新書、2004年)


『九十八歳になった私』と『生きる歓び』は小説であり、『21世紀版 少年少女古典文学館第一巻:古事記』は古典で『これで古典がよくわかる』は古典の解説。さらに、『上司は思いつきでものを言う』は、社会論でもありながら、ビジネス書として読める。

ぼくの本棚のたった5冊だけを見ても多岐にわたり、自由に「境界線」をふみわたってゆくさまが見てとれる。

ぼくは橋本治をずっと読んできたわけではないし、多岐にわたる著作群の片隅にふれたぐらいだけれども、自由に「境界線」をふみわたってゆくありようにひかれてきたのだと思う。ただたんに自由に「境界線」をふみわたってゆくのではなく、そこには「人」というもの・ことに向けられる洞察がみちあふれている。

『九十八歳になった私』で、2046年、東京大震災を生き延びた元小説家の「私」を描くときも、それから古典作品を語るときも、さらには「日本のサラリーマン」や「上司」ということにきりこんでゆくときも、いつだって、「人」への透徹したまなざしが感じられるのである。

5冊のぜんぶを読みきっていなくても、ぼくはそのように思う。

なお、人事コンサルタントをしてきたぼくが見ても、『上司は思いつきでものを言う』は、今でも読まれるべき作品だと思う(※ブログでこの作品を取り上げようと思いながら、内容と論理が見かけ以上に深く、なかなか書けないでいる)。


ぼくを「橋本治」につないでくれた内田樹は、「追悼・橋本治」のブログで、つぎのように書いている。


私にとっては20代からのひさしい「アイドル」だった。最初に読んだのは『桃尻娘』で、「こんなに自由に書くことができるのか」と驚嘆して、それからむさぼるように、橋本さんのあらゆる本を読み漁った。…
橋本さんにははかりしれない恩義を感じている。
なにより「これくらい自由にやっても平気」ということを教えてくれたことである。
いわば、橋本さんが地雷原をすたすた歩いていって、振り返って「ここまでは平気だよ。おいで」と言ってくれたようなものである。
橋本さんの通った後なら大丈夫。あそこまでは行っても平気というのは後続するものにとってはほんとうに勇気づけられることだった。

内田樹「追悼・橋本治」、Webサイト「内田樹の研究室」


内田樹にとって「これくらい自由にやっても平気」ということを教えてくれる先達(mentor)の存在であったという橋本治。たしかに、どんなことにおいても、「これくらい自由にやっても平気」ということを教えてくれる先達がいたら、ほんとうに勇気づけられるだろうと思う。


そんな「足跡」をたしかめるためにも、まるで橋本治さんに「宿題」をいただいたかのようにぼくの本棚にならんでいる橋本治作品を、ぼくはひらく。