ここ香港では、本日(2019年2月17日)「香港マラソン」が開催された。毎年、この時期に開催される、香港最大規模のマラソン大会である。フルマラソン、ハーフマラソン、10キロマラソンなどがある。
ニュース(South China Morning Post)によると、74,000人以上の人たちが参加したという。50年ほどまえにはじめて開催されたときは、参加ランナーは28名であったというから、この50年のあいだに、ランナーたちは増えつづけてきたことになる。
ぼくが香港マラソンに参加したのは、たしか、2010年と2011年であったかと思う。その時期も「マラソン」という活動はだいぶ注目されていたけれど、さらにそのあと、香港で「走る人たち」が増えたように、ぼくは感じる。
走る理由や背景は人それぞれである。「香港マラソン2019」に参加する人たちも、それぞれに<個人の物語>をもちながらマラソンに参加したのだということを、South China Morning Postも伝えている。
『香港でよりよく生きていくための52のこと』の本を書いたとき、「香港でよりよく生きていくため」に、香港で「スポーツ系イベント」に参加することを、項目のひとつとしてぼくは挙げた。
「香港マラソン」に参加した体験をベースにしながら、ぼくはこの項目を挙げたのであった。大したことを書いたわけではない。けれども、大切なのは、じっさいに体験・経験してゆくことである。
べつに「香港マラソン」に限るわけではなく、他のスポーツでもよいし、あるいはなんらかの「イベント」に参加するのでもいい。
ただ、ぼくのなかには「香港マラソン」の体験が刻印されていたから、ぼくは「じぶんの体験・経験」をベースにしながら、語った。「香港マラソン」に参加したことで、たしかに、ぼくの「生きること」は、ひろがりとふかさを得たからだ。
だからとくに何もアイデアがなくて、香港で何かをしたい、というひとがいたら、ぼくはやはり、アイデアのひとつとして(あくまでも、たくさんあるうちの「ひとつ」としてだけれど)「香港マラソン」への参加を挙げるだろう。
「マラソン」そのものから引き出せるよい点、それから「香港で走る」ことから引き出せるよい点がある。
「マラソン」そのものから引き出せる点は、べつに香港に限るものではない。でもきっかけとして、「マラソンを走ってみよう」と思うのは、海外にいるからこそ思うこともあるかもしれない。香港にいるんだから、たとえば「香港の……」に挑戦してみよう、などというように。
ぼくが「マラソン大会」に出たのは、香港におけるマラソン大会(ユニセフ主催のチャリティラン)が初めてであった。なにはともあれ、ぼくが「マラソン」をはじめてみて、学んだことや得たものはほんとうにたくさんあった。
「香港で走る」ということでいえば、<香港の風景>をじぶんの身体にすっぽりととりこむことができる。
いつもとは違う風景に接しながら(いつも見ている風景が違う風景にみえながら)、じぶんの身体でじっさいに感じることで、風景も距離感も、じぶんのなかにより親密な仕方できざまれるのである。
それは、準備段階から感じることができる。ふだんのトレーニングで走るときからである。
また、走る道中で、香港のいろいろな人たちと「走る場」を共有できる。なかには、声を交わしたり、一緒に走ったりすることもあるだろう。
そんなひとときひとときが、やはり有難いものであるし、また思い出としてものこってゆく。
もちろん、それらを体験・経験を「意味あるもの」として織り成してゆくのは、ひとそれぞれの<個人の物語>である。じぶんが生きる、ということの物語である。どのような物語をじぶんは生きているのか、ということが「香港で走る」ことに色彩をあたえ、あるいは「香港で走る」ことで、じぶんの物語は色彩をあたえられる。
そんな実体験を基礎にしながら、「香港でよりよく生きていくため」に、香港で「スポーツ系イベント」に参加することを、ぼくは挙げるのである。