串田孫一(1915-2005)のことを、作家の辺見庸は著作『水の透視画法』(集英社文庫)で書いている。
辺見庸が見た夢のなかに、すでに亡くなられた串田孫一の姿を見たことから、串田孫一にお会いしたときのことを思い出す。東京の新宿でただ一度会い、3時間の話をしたときのことである。
辺見庸は、串田孫一を「なんとよべばよいのか」と自問した。串田孫一にはいろいろな「顔」がある。哲学者、詩人、エッセイスト、翻訳家、アルピニスト、画家など。でも、どれもぴんとこない。このような「職業名」があてはまらない。
辺見庸は、結局のところ、尊称としての<ひと>と、串田孫一を心のなかでよんできたのだという。
<ひと>として、生きる。
やはり、岡本太郎(1911-1996)のことばがわきあがってくる。
ぼくはパリで、
人間全体として生きることを学んだ。
画家とか彫刻家とか一つの職業に限定されないで、
もっと広く人間、全存在として生きる。
これがぼくのつかんだ自由だ。岡本太郎『壁を破る言葉』(イースト・プレス)
1930年にパリに渡り、10年ほどをパリで過ごしたという岡本太郎。20代をパリに生きながら、<人間全体として生きる>ことを学んだのである。
人間社会の成り立ちと発展のなかに「分業」がくみこまれており、人は自分の生を「職業」に限定する仕方で生きていく。
このようなことを話はじめると、「スペシャリスト/ジェネラリスト」という、さらに限定された議論にはいっていってしまうことがある。もちろん、そのような議論が妥当性をもつ場や文脈もあるけれども、串田孫一や岡本太郎のことばや生きかたは、このような二分法そのものを裂開してしまうのだと、ぼくは思う。
スペシャリストであろうが、ジェネラリストであろうが、あるいはその両方であろうが、<人間全体として生きる>ことが土台であるように、仕事をし、生きてゆくことができる。
「職業タイトル」があろうと、あるいはなかろうと、<人間全体として生きる>ことを土台とすることができる。
ぼくは、この「限定」していく力にたいして我慢できなかったりして、つい、<人間全体>のほうへ、心身が向かってしまう。
全存在として生きる。岡本太郎のいうように、これが「自由」であるということもできる。
なお、<人間全体>とは、ぼくにとっては、「職業という領域」だけのことではない。もっとひろくとらえている。
カール・ユングのいうような精神の「全体性 wholeness」であり、また五感でいえば現代テクノロジーによる各感覚器官の拡張(だけ)ではなく「感覚の全体性」である。
もういちどくりかえしておくと、たとえば「個/全体」というような二分法において「全体」が優位であるということではない。
この「個/全体」という見方そのものを裂開し、つきくずす方向へ、生きかたをひらいていくということである。生きることの土台として、<人間全体として生きる>ことである。