心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)と、思想家の鶴見俊輔(1922-2015)との「出会い」について、河合隼雄による「回想」を取り上げながら、昨日(2019年3月18日)のブログに書いた。
思いもよらず河合隼雄が鶴見俊輔を「敬遠」していたこと、鶴見俊輔に会ってすぐに「誤解がとけたこと」、また誤解がとけただけでなく、鶴見俊輔は<天性のアジテーター>であると、河合隼雄が見出したこと。
河合隼雄は鶴見俊輔の「目の輝き」にいくどもふれているのが、ぼくの印象につよくのこっている。
この回想は、「鶴見俊輔さんとの出会い」という、『「出会い」の不思議』(創元こころ文庫)所収の短い回想だけれども、とても印象的な文章である。
今年2019年は「鶴見俊輔を読もう」と思ったぼくの<寄り道>は、しかし、鶴見俊輔という人物を知るうえで、大切なことをぼくに教えてくれたように思う。言ってみれば、「鶴見俊輔を読む」ことが「目的」なのではなく、<鶴見俊輔>を通して、ぼくは「何か」を学ぼうとしているのであり、その意味において、これはふつうの意味での「寄り道」ではない。
また、「鶴見俊輔さんとの出会い」という文章は、ぼくがうすうすと感じとっていたことの「ことば化」を手伝ってくれたところもあるのである。
さらに、この文章の最後のくだりも、とても磁力のつよい言葉が放たれている。
鶴見俊輔との出会いののち、河合隼雄は鶴見俊輔との仕事を共にする機会を多く得てゆくことになり、「ホンモノ」と「ニセモノ」を見抜く眼力に、いつも敬服されることになる。そのことを、河合隼雄は桑原武夫(フランス文学者・評論家)に話したのであった。
…いつか桑原武夫先生に鶴見さんがいかに素晴らしいかを話すと、いかにも当然というように、「ああ、鶴見は天才でっせ」と言われる。そこで、先生は天才と秀才をどうして見分けられますかとお尋ねすると、「天才は面白いと思ったら自分に不利なことでも平気で喋る」、「秀才は自分が損するようなことは上手に隠す」とのことであった。
河合隼雄『「出会い」の不思議』(創元こころ文庫)
「天才は面白いと思ったら自分に不利なことでも平気で喋る」。
桑原武夫の、この「見分け方」もすごいけれど、この話を読みながら、鶴見俊輔という人物、それから、彼を通じて学ぶ「何か」の一端を、ぼくは見てとることができる。
このような事情は、ぼくが尊敬してやまない見田宗介(社会学者)の、つぎのような文章にもあらわれるのである。見田宗介が学生であったころのことである。
…(…「こんど出た吉本隆明の『ナショナリズム』をもう読みましたか?わたしが徹底的に批判されているんです。すばらしい論文です。ぜひ読んでみて下さい」。学生であったわたしに鶴見は目を輝かせて言った。爽快だった。本質的な思想家は、論争での勝敗などには目もくれぬものだ)。
見田宗介『現代日本の感覚と思想』(講談社学術文庫、1995年)
ここでも、鶴見俊輔は、じぶんの「損得」など気にすることなく、面白いと思ったもの、すばらしいと思ったものを平気で語っている。やはり、目を輝かせながら。
このような振るまいが、あるいは生きかたが、どれだけ多くの人たちをひきつけ、触発してきたことか。