「根をもつこと」の欲求と安心感。- 香港で「Apple Store」を利用しながら感じること。 / by Jun Nakajima

ここ香港で、アップル社の「Apple Store」(香港には現在のところ6箇所ある)を利用しながら、「Apple Store」のすごさを実感する。「外部」から見ているだけではなかなかわからないけれど、実際にあらゆる仕方で利用してゆくと、そのすごさをしみじみと感じることになる。

シンプルでデザイン性にすぐれた全体的な空間(ミニマリスト的な空間)のなかに、いろいろな「サブ空間」があり、デバイスの購入から設定、アドバイスや修理、リサイクル、さまざまなセッションなど、これらが相互にからみあいながら立体的な空間をつくっている。

「Apple Store」は世界各地にあるけれど、この香港という場所で、これほどの空間とサービスを展開していることに、いろいろと考えさせられるところがある。

でも、ここではそれらをひとつひとつ考えてゆくのではなく、「Apple Store」のような空間の、物理的な存在そのもののことに光をあてておきたい。

劇場的な空間であること(またその楽しさ)をひとまず横に置いておくと、ひとことでその「物理的な存在」にたいする感覚を述べるとすれば、やはり、「安心」ということであるように、ぼくは思う。

アップル製品の良し悪しを語っているのでもなく、そして、「安心」はべつに「Apple Store」に限ることではない。

そうではなくて、その感覚は、ぼくたちの内奥に向かって深く降りていったときに、<根をもつことの欲求>に重なることであるように、ぼくは思ったのであった。


「人間の根源的な二つの欲求は、翼をもつことの欲求と、根をもつことの欲求だ」。名著『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)で、真木悠介はこのように書いた。

「翼をもつこと」だけでなく、「根をもつこと」の欲求。「根をもつこと」だけでなく、「翼をもつこと」の欲求。いずれもが<人間の根源的な欲求>であると、人間の欲望・欲求の構造を徹底的に探求してきた真木悠介は書く。

真木悠介は、この矛盾の解き方として、ふるさとを「局所」に求めようとするとするのではなく、「地球ぜんたい」に求めることを提示している。

その論理的な正しさ、それからぼくが求めてきた方向性もそこにあることを確認したうえで、それでも、「根をもつこと」の欲求はぼくの内面の回路を経由して、どこか「局所」的なものや場所に向かうこともある。

実際に住む場所があること、通う場所があること、働く場所があること、「知っている」場所があること、帰る場所があること、などなど。このようにして、(違った形ではあるけれど)「根をもつこと」の安心感を、ぼくたち(少なくともぼく)は、感じたりすることがある。

正確には「根」ではないけれど、たとえば、テント(テント内の空間)も、どこか安心感を与えてくれるものである。ニュージーランド徒歩縦断に挑戦していたとき、道ばたにテントを設営し、テントにもぐりこんだときの安心感をぼくは憶い出す。

「根をもつことの欲求」から派生してくる安心感を、そのような広い幅において考えていると、「Apple Store」も、ある意味で、「根をもつことの欲求」からわきあがってくるような安心感を与えてくれるのかもしれないと、思ったりするのである。

世界をいろいろと移動したり、移り住んだりするときに、「Apple Store」があるのは、やはり、安心である(もちろん、便利でもあり、デザインを楽しむことができる)。


いずれぼくの考え方や感覚が変わるかもしれないけれど、実際に、海外を含め、生活スタイルを試みているなかで、そんなことを考えたり、感じたりしている。