「あんな風に振舞ってみたい」。旅先で出会った日本人の方と語り、行動を共にしながら、そんな風に思ったことがあった。
もう20年以上もまえのことになる。
1997年、ぼくは大学の夏休みのあいだに、タイ、ミャンマー、ラオスを旅していた。大学に入ってから、夏休みはアジアを旅し続けていた。そのまえの年、1996年には大学を一年休学し、ニュージーランドに住んだぼくは、1997年の夏、アジアに戻ってきた。アジアは、アジア通貨危機で揺れていた。
ニュージーランドに住んでいるときに無性にアジアに行きたくなるときがあったのだけれど、タイに到着したときは、やはり、身体の細胞がさわぎだすような感覚を覚えた(ちなみに、ニュージーランドでの経験はもう少し異なる次元を含めてぼくに影響を与え続けてきている)。
その方に、どこで、どのように出会ったのかは、今となっては正確には覚えていない。けれども、あのときの「体験」は、ぼくのなかにたしかに残っている。
成田空港からタイに入り、タイからミャンマーに空路で移動し、ミャンマーからラオス、ラオスからタイに戻ってくるルートで旅はすすんでいったのだが、おそらく、ミャンマーで(あるいはラオスで)、ぼくはその方に出会った。ぼくも一人旅であったし、彼も一人旅であった。
異国の地で、彼と語り、食事を共にしたりした。
それほど長い時間ではなかったけれど、彼と行動を共にするなかで、彼が、とても気さくでオープンマインドであったことに、ぼくはとてもひかれたのであった。異国の地の人たちと打ち解けてゆく仕方に、ぼくは人の「豊かさ」のようなものを感じたのだ。
後年ふりかえるなかで理解したことは、彼と行動を共にすることで、隣にいるぼくは「彼」を通じて、その<窓>から「世界」を見て、体験することができたことになる。その鮮烈な体験が、ぼくのなかの「埋もれていたもの」を刺激し、ふるい起こす。他者に感じる圧倒的な魅力性は、自分のなかに埋もれているものを照らす光となることがある。
「埋もれていたもの」に光があてられ、凍りついていたその表面が雪解けし、自分の違う「一面」が表層に出てくる。
旅路で彼と別れ、ラオスのビエンチャンに移動したぼくは、じぶんのなかに埋もれていた気さくさとオープンマインドをひらいてみる。出会う人たちや子供たちにオープンマインドで声をかける。夜の路上店で、クレープのような食べ物を売っている人にたのんで、作り方を教えてもらう。それだけで、「世界」がいつもとは違って、ぼくの前にあらわれる。
向き合う他者というのではなく、<横にいる他者>(真木悠介)である。
…関係のゆたかさが生のゆたかさの内実をなすというのは、他者が彼とか彼女として経験されたり、<汝>として出会われたりすることとともに、さらにいっそう根本的には、他者が私の視覚であり、私の感受と必要と欲望の奥行きを形成するからである。他者は三人称であり、二人称であり、そして一人称である。
真木悠介『旅のノートから』岩波書店
1997年のアジアの旅を憶い出しながら、そのことをさらに深く感じる。
生きてゆくうえで、その場ですぐに学べることもあれば、あとになって(ときには、ずっとあとになって)「ことば化」されることがある。さらには、あとになって「ことば化」されたことのなかにも、生の旅路を歩きながら、もっともっと、深まってゆくこともある。
1997年のアジアの旅は、そんな体験のひとつであったようだ。