旅を始めたとき、まさか、ぼくが「ヒッチハイク」をすることになるとは、思ってもみなかった。
ぼくのなかでヒッチハイクをすることはイメージになかったし、もちろん意図としてもなかった。でも、旅を続けてゆくなかで、「ヒッチハイク」という旅をすることにおしだされていったのである。
1996年、ぼくは、ワーキングホリデー制度を利用してニュージーランドのオークランドに住み、滞在の後半になってから、ぼくは「ニュージーランド徒歩縦断」の旅に出た。
ニュージーランドに渡るまえから決めていたことではなく、オークランドに住みながら、「こんなことをしたんだ」と、じぶんや他者に言えるような「何か」をしておきたいと思い、アウトドアの雑誌で見た記事に触発されて、ぼくは「ニュージーランド徒歩縦断」を試みたのであった。
結果としては「途中で断念した」のだけれども、ニュージーランドの北端から南に向かって歩きはじめオークランドに到達し、オークランドで体制を立て直して南に向かってふたたび歩いた経験は、ぼくにとって、とても大切なものとなった。
驚いたことのひとつに、歩いている道中、ほんとうにたくさんの車がぼくのまえで停車してくれて、「乗っていきますか?」と声をかけてくれたり、乗車提供のジェスチャーを示してくれたりしたことがある。
そのたびに、ぼくは「No, thank you.」を伝え、ときに「北から南に歩いているんです」と説明することになった。そんなやりとりに、ぼくは励まされたものである。
足をけがして、ようやく到着したオークランドで治療し、オークランドで体制をととのえてふたたび南に向かって歩きだしたとき、ぼくの身体も精神も、なんだか歯車がくずれはじめたように思う。
ニュージーランドの北端から(おそらく)700キロメートルほどのところで、ぼくはじぶんでじぶんに「リタイヤ」を告げた。ぼくの身体を大粒の雨粒がうっていた。
じぶんで「リタイヤ」を決めてからそれほどたたないうちに、大雨がふりしきるなか、ある車が停まってくれた。大雨のなか、田舎のハイウェイを歩いているぼくを見兼ねて、停車してくれたようであった。
こうして、ぼくは、「ヒッチハイク」をすることになった。なお、その日は、彼の家での宿泊をすすめてくれ、ぼくはありがたく泊めてもらうことにした。出会ったばかりの方に泊めてもらうのは、ぼくにとって「はじめて」の経験でもあった。
身心の状態がよければありがたく断っていたかもしれない。それほどに、ぼくの身心は疲弊していたのかもしれないと思う。
今ふりかえってみると、「ヒッチハイク」という旅の形と内実は、「生きることの幅」をひろげてくれる契機のひとつであった。
ぼくの「ニュージーランドでの旅」は、一方に、きちんと料金を支払って決められた時間に決められた交通機関で移動する旅があり、他方に、じぶんの足をたよりにニュージーランドを縦断しようと試みる旅があった。
どちらの旅の形態も、「他人に迷惑をかけまい」とする旅の形態であるように、今ではぼくの眼に見える。「他人に迷惑をかけてはいけない」、このことを小さい頃から教えられてきたことを、ぼくはふと憶い出す。
でも、身心が疲弊し、ふりしきる雨がぼくの身体に浸潤してくる状態で、ぼくは、他者がさしのべてくれる好意を受け入れることにした。
「他者がさしのべてくれる好意を受け入れること」を、ぼくは「他人に迷惑をかけること」であると勝手に思っていたところがあるのかもしれない。切羽詰まった状態になってはじめて、ぼくは、そのような偏った見方の壁を、いくぶんか崩すことができた。
最後の最後まで、よくしてくれることに「申し訳なさ」が残ったのだけれど、でも、ぼくも「他者に手をさしのべる」ことができるような人になりたいと思ったものだ。
イメージもせず、意図もしていなかった「ヒッチハイク」の旅におしだされて、「じぶんの足をたよりに歩く」ことに挑戦していたときとは異なる経験と楽しさと学びを、ぼくは得ることができた。
そのことを、ここに書いておきたい。感謝の気持ちをこめて。