ある人とある人が対話する。その<あいだ>で、何かが共有され、何かが生まれる(何かが「解体」されることもある)。そんな<対話の時空間>は、ときおり幸福な仕方で、共有された「何か」、生まれた「何か」を、時空間をこえて、他者にとどける。
小説家・村上春樹と心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)のあいだにひろがる<対話の時空間>は、その時空間をこえて、幸福な仕方でぼくたちにとどけられる。「村上春樹と河合隼雄」という組み合わせは、(少なくとも、ぼくにとって)そのような幸福な組み合わせである。
『職業としての小説家』(スイッチ・パブリッシング、2015年)という著作の最後の章(回)で、村上春樹は「物語のあるところ・河合隼雄先生の思い出」を書いている(初出は新潮社「考える人」夏号、2013年)。
村上春樹が河合隼雄に初めて会ったのは、プリンストン大学であった。1990年代前半のことだ。それぞれがアメリカに長く滞在していたときである(日本に住んでいたら会っていなかったかもしれない。海外にいるからこそ「会う」人たちがいるものである。ぼくの経験から。)。
「物語のあるところ・河合隼雄先生の思い出」では、そのときのことが語られている。
けれども、そのときに「何を話したかほとんど覚えていない」という。そうでありながら、そのことはどうでもいいことじゃないかとも、村上春樹は書いている。
…そこにあったいちばん大切なものは、話の内容よりはむしろ、我々がそこで何かを共有していたという「物理的な実感」だったという気がするからです。我々は何を共有していたか?ひとことで言えば、おそらく物語というコンセプトだったと思います。物語というのはつまり人の魂の奥底にあるものです。人の魂の奥底にあるべきものです。それは魂のいちばん深いところにあるからこそ、人と人とを根元でつなぎ合わせられるものなのです。僕は小説を書くことによって、日常的にその場所に降りていくことになります。河合先生は臨床家としてクライアントと向き合うことによって、日常的にそこに降りていくことになります。あるいは降りていかなくてはなりません。…
村上春樹『職業としての小説家』(スイッチ・パブリッシング、2015年)
<物語というコンセプト>。共有されていたものは、おそらくこのことであったと書かれている。ここでの物語は、「魂のいちばん深いところにあって、人と人とを根元でつなぎ合わせられるもの」である。
おそらく、ここで語られ、共有されていたことが、日本での「対話」に継続され、『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(新潮社)として書籍化された。この本をとおして、ぼくたちは、共有されていたものの一端をつかむことができる。
『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』は、「内容」もとてもスリリングだけれども、それよりも、語られていることの全体性のようなものによって、どこか、ぼくの深いところが癒されるような、そんな本である。少なくとも、(確か)2000年前後に初めてこの本を読んだとき、ぼくはそのような「実感」を抱いたものである。
今にして言葉にしようとするのであれば、「魂のいちばん深いところにあって、人と人とを根元でつなぎ合わせられるもの」にふれられることで、じぶんの深いところが癒されるような、そんな「実感」が湧いたのだろうと思う。
それとともに、「魂のいちばん深いところにあって、人と人とを根元でつなぎ合わせられるもの」の次元へと降りていって、そこから、人や社会とのかかわりをさぐる先達たちに、生きづらさを感じていたぼくは強く励まされたのだとも、ぼくは思う。
それにしても、誰かとあって話をして、何を話したかはほとんど覚えていないけれど、その場でいちばん大切であったものは、話の内容よりもむしろ、そこで何かを共有していたという「物理的な実感」であった、という経験を、人はするものである。じぶんの経験を憶い起こしながら、そう思う。