10年ぶりの「味の記憶」。- 香港の「家庭料理の味」が身体にしみる。 / by Jun Nakajima

「この味だよなぁ」。10年ほどまえの記憶なのに、ぼくの身体は「味の記憶」をきっちりとどこかに収納してくれている。その味にふたたびふれるとき、収納されていた記憶はまちがうことなく、ひきだされてくる。

ここ香港の繁華街、Causeway Bay(銅鑼灣)にある、いわゆる大衆食堂。そこの「ランチセット」は何種類かあって、毎日替わる。それら日替わりのメニューは、1週間分が事前に発表されることになる(「発表」というとおおげさだけれど、常連さんたちにとってはとても大切な情報である。ぼくでさえ、以前は事前に目を通していたくらいだ)。

「1週間分のメニュー」は、近辺のオフィスなどに配布され、デリバリーを注文することができる。

2007年から2009年の半ばまでCauseway Bayに位置するオフィスで働いていたとき、このデリバリーサービスを利用して、ぼくはこの大衆食堂のランチを食べていた。覚えているかぎり、結構な頻度で注文していたのだと思う。

なにがよかったかといえば、「家庭料理」であったこと。化学調味料が使われることなく、塩も他に比べて控えめであった。食べることにはそれほどこだわりがなくても、できるだけ「健康的な食事」を望んでいたぼくを、香港の同僚が気遣ってくれて、ここのランチをすすめてくれたのが、そもそもの始まりであった(と記憶している。なにしろ、10年以上もまえのことなので定かではない)。


日替わりのメニューは5種類ほどの「おかず」を表示していて、注文するときは、それらからひとつを選ぶことになる。鶏肉系、豚肉系、魚系など、素材はだいたい決まっていて、料理の仕方を変えることで「日替わり」となる。

この「おかず」に、ごはん、スープ、それから糖水(デザートの甘いスープ)がついてくる(なお、飲み物は中国茶が提供される)。香港ではやはり「スープ」が醍醐味であるとぼくは思うけれど、ここのスープは化学調味料が使われておらず、塩分もひかえめである。

このような「家庭の味」が、どうにも、やさしく身体にしみるのである。


この「味」に、10年ほどあとになって、ふたたび再会する。今度は、デリバリーではなく、大衆食堂(レストラン)に実際に出向いて、できたての料理を楽しむ。

「この味だよなぁ」。10年ほど経っても、ぼくの身体に、この「味」がきっちりと記憶されている。それにしても、料理をできたてで食べるのは、やはりいいものである。

そして、プルーストの作品における「紅茶にひたされたマドレーヌ菓子」の味が過去の記憶をよびもどすように、この「味」が、Causeway Bayで働いていたときの記憶をよびもどしてくる。身体の知性というものは、ほんとにすごいものだ。

この10年。この10年はぼくにとって、どんなものであったのだろう。「変わらない味」に心あたためられながら、変わらない自分/変わった自分のことを思う。