人生とは「物語」である。- <つなげる力>としての「物語」。 / by Jun Nakajima

人生とは「物語」である。そもそもからして、「人生」という言葉自体に、「物語」がうめこまれている。

「人生」をどのように語り、それがどのように語られるかということはあるけれど、「人生」という言葉のなかに、すでに「物語」が前提されている。「人生 Life」という言葉によって、ひとはそれぞれに、イメージを伴った物語を想起する。人が生まれ、育てられ、学び、成長し、働き…などというように。


ところで、哲学者ハンナ・アーレントはかつて、著書『人間の条件』のある章の冒頭に、つぎのような主旨のエピグラフをおいた。

「どんな悲しみでも、それを物語に変えるか、それについて物語れば、耐えられる。」

このエピグラフをはじめて読んだとき、ぼくはこのエピグラフにひきつけられ、なんだか、とてもわかるような気がした。それからぼくなりに人生を歩んできて、その道ゆきに刻まれてきた足あとをたしかめながら、エピグラフの語る真実さをいっそう感じるようになった。

ある「物語」が、個人の物語であろうと、集団・グループの物語であろうと、さらにはより大きな社会の物語であろうと、「物語」というものの力を、ぼくは感じ、信じるようになった。


「物語」とは、ものごとを<つなげる力>であり、つなげることで「意味」をつくりだしてゆく。あるいは、「意味」をつくりだすことで、ものごとをつなげて、「物語」はつくられてゆく。これからの時代は「つながり」がキーワードであると言われ、基本的なところではその通りだと思うけれど、そのさらに基底的な次元においては、「物語」という、<つなげる力>が、いろいろな局面をきりひらいてゆく時代である。

生きることがむなしくなったり、やる気がなくなってしまったり、生きる「意味」がわからなくなってしまったりするとき、それは「物語」を語ることができなくなったときである。

けれど、人生とは「物語」であるということは、「物語」を語るのが人だということでもある。人は「物語」を語らずにはいられない。じぶんが「物語」なんて語ったことがないと思っている人であっても、「物語」を語る。だれもが「物語」をもち、「物語」を語る。

大切なのは、どのような「物語」を語るか、ということ。「物語」をどのように語るか、ということである。ひるがえって、人生は、そのようにしてつくられてゆくのであり、どのような「物語」をどのように生きてゆくのか、ということが問われる。