先日から、「個としての私」が生きる「物語」について、心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)の語りにも耳を傾け、その声に共感・共振しながら、いくつかのブログを書いている。
現代という時代を「個」を大切にして生きてゆくかぎり、自分が生きていくための「物語」を自分自身でつくっていくことになる。
たとえば、「よい」大学に入学し、卒業後は一流の企業に勤めたり官僚になったりという「(日本の)スタンダードの物語」は、ひと昔前のように「幸せ」を保証する物語ではない。今ではそれは「スタンダード」ではなく、たくさんの物語のうちのひとつの「物語」である。
自分の幸せを追い求めていくのであれば、「自分の物語」をつくってゆく必要がある。それは「大変」であるかもしれないけれど、自分自身の物語をつくりながら生きていけることはすばらしいことであると、ぼくは思う。
「物語」はスタンダードに集約されるのではなく、多様性に充ちた物語たちがいっぱいに花を咲かせてゆくのである。
この「多様性」ということを理解しておくことは、やはり大切なことである。
「自分の物語」をつくっていく時代が来ているとはいえ、「スダンダードの物語」もいくぶんか内実を変えながらも、物語を「標準する力」を維持しようとしているかのように見える。
「よい」大学に入学し、卒業後は一流の企業に勤めたり官僚になったりという「物語」自体がわるいのではない。ただし、その物語が、たくさんの物語のうちのひとつであることを明確に認知され、共有されているべきだと思う。それは「標準」ではない。
この点について、河合隼雄は、つぎのように書いている。
たくさんある物語の中のどれを自分は生きようとしているのかを自覚していない人は、しばしば、自分の生きている物語だけが「正しい」と確信しているようである。そうなると、その人の幸福度が高まるにつれ、まわりの者は苦労させられると思う。
河合隼雄『源氏物語と日本人ー紫マンダラ』(講談社+α文庫、2003年→電子書籍2013年)
「幸福度が高まるにつれ」と書かれているように、自分の生きている物語だけが「正しい」と確信している人は、うまくいけばいくほどに(「幸福度が高まる」ということは、いわゆる「成功」することによらず、「安定的な人生を歩むこと」によることもある)、その成功物語を「よかれ」と思いながら他者におしつけてしまうこともあるだろう。
日本の「スタンダードの物語」が崩れはじめていたがまだそれなりに通用していた1990年代半ばから2000年頃、なるべく「スタンダードの物語」を気にしないようにしながらも、それはやはりぼくの内面で、まるでコマーシャルがながれるかのように、ときおりながれていた。
「よい」大学に入って、さて「次」は、という岐路で、ぼくは「自分の物語」をつくってゆくことに苦心していたのだと思う。
大学2年を終えたところで休学してニュージーランドに行ったことは「物語」をつくることの一環であったし、大学を卒業して、途上国における国際協力の道に向けて大学院に進んだこともその一環であった。
大学院を修了したあとに勤務しはじめたNGOで、ぼくはシエラレオネと東ティモールに赴任したのだが、そこでの経験は、この世界には「たくさんの物語」があるのだということを、いっそう、ぼくの身体で実感させるものであった。
ほんとうにいろいろな「物語」を生きている人たちに触発されながら、日本の「スタンダードの物語」がたくさんの物語のうちの「ひとつ」にすぎないことを、より深いところで理解することができたように、ぼくは思う。
そこでも「正しさ」の物語はないとまでは言えないかもしれないけれど、だいぶ薄まって語られていたように思う。
それから香港に移って12年。ぼくは「自分の物語」をつくりつづけている。これからもずっと、つくりつづけてゆくと思う。