<初めの炎>を保つこと。そして<残り火>は捨てること。- 見田宗介先生による、インドの哲学書『秘密の書』の解釈。 / by Jun Nakajima

4月に入って、ここ香港ではぐっと暑さが増してきていて、今日は日中の気温が30度ほどであった。また、香港の、「あの」じっとりくる湿気も、じわじわとやってきているようだ。

日本の「4月」とは異なるけれども、季節の変わり目というところでは「始まり」のときでもある(ほんとうは、いつだって「始める」ことはできる)。


そんな「始まり」において、見田宗介先生(社会学者)の次の文章を、ここに紹介しておきたい。


『秘密の書』というインドの哲学書によれば、愛の格律は究極のところ二つしかない。
 一.初めの炎を保ちなさい。
 一.残り火は捨てよ。

これは直接には性の技術の書であるともいわれているが、また愛の真実であり、生きることの真実でもあるとぼくは考えている。たとえばひとつの哲学を愛する時に、それともひとつの仕事を愛する時にさえ、<初めの炎>を保つこと。そして<残り火>は捨てること。それだけが哲学や仕事を鮮烈に愛する仕方だ。

見田宗介「解説 夢よりも深い覚醒へ」、竹田青嗣『陽水の快楽』(ちくま学芸文庫、1999年)


ここで「哲学」が出てくるのは唐突かもしれないが、この文章は、哲学者である竹田青嗣の「井上陽水論」に付された解説であるからである(「夢よりも深い覚醒へ」と題された、この解説文はほんとうに美しい解説である。ぼくはこれほど美しい解説文をこれまでほかに読んだことがない)。

この文章は、ぼくが、とても好きな文章である。

初めてこの文章に出会ったときから、ぼくはこの「真実」に共感し、ぼくの生を支えてくれる「真実」として心のうちに収めておき、事あるごとに取り出しては、ぼくの生に照らし合わせてきた。

じぶんがやっていることにどこかもやもやとしたものを感じるときなどに、このページをひらいては、究極の二つである「愛の格律」に戻って、じぶんの生きかたに光をあててみるのだ。


<初めの炎>を保つこと。そして<残り火>は捨てること。

これ以上、ここで追加で語るところはひとまずないのだけれど、「ちなみに」を加えておきたい。

ちなみに、見田宗介先生は、うえで紹介した文章のなかで、『秘密の書』の「真実」がつらぬくことがらとして、「性」のこと、「愛」のこと、それから「生きる」ことを挙げられているが、これは決して恣意的な並列ではない(と、ぼくは考えている)。

見田宗介先生のペンネーム(真木悠介)で書かれた名著『自我の起原』(岩波書店、1993年)では、性のこと、愛のこと、生きることが、書名のとおり「自我の起原」にまで射程をひろげながら、一貫性をもった視点で追求されている。

興味のある方は、ぜひ『自我の起原』の本をひらいてほしい。

『自我の起原』は、まさに、<初めの炎>を保つこと、そして<残り火>は捨てることにつらぬかれた書物である。