じぶんと<モノとの関係性>に光をあてる。- じぶんの内奥への階段を降りてゆく方法。 / by Jun Nakajima

「トランクひとつ分の幸せ」。

かたづけ士である小林易の『たった1分で人性が変わる片づけの習慣』に出てくることばである。ぼくはこのことばと、そんな生きかたに共感する。

小林易がこのことばに至ったのは、大学時代のアイルランド留学であった。3カ月の留学生活を終えて、帰国の荷づくりをはじめた小林易は、荷づくりのために、ベッドの下に収納していたトランクを出したときに自ら衝撃をうけることになる。「トランクひとつ」で3カ月生活できたこと、またモノの少ない生活のほうが充実していたこと、これらのことにである。


 あなたの人生を豊かにするモノの量は、私がアイルランドに留学したときのトランクひとつ分の荷物かもしれません。トランクひとつ分の幸せこそが、いちばんステキな幸せかもしれません。

小松易『たった1分で人性が変わる片づけの習慣』電子書籍版(KADOKAWA/中経出版、2017年)


ぼくの共感は、ぼくの経験と感覚からきている。ぼくの海外暮らしも「トランクひとつ分」のようなときがあったからである。

大学時代に9ヶ月住んだニュージーランドを去るときも、それから仕事で赴任していた西アフリカのシエラレオネ、それに東ティモールを去るときも、いずれも「トランクひとつ分」(正確には、大きなバックパックひとつ分+手荷物)であった。

もちろん、シエラレオネと東ティモールはいわゆる「途上国」であり、モノの面においては情況がことなる。東京やニュージーランドや香港の街に出てショッピングをするような情況とはかけはなれている。けれども、だからこそ、いっそう「トランクひとつ分の幸せ」が見えてくることもある。

そんなぼくも、ここ香港に12年住むうちに、だいぶモノを増やしてしまった。この12年という時期は、情報技術テクノロジーの圧倒的な進展が重なったことも影響しているとは思うのだけれど、それにしても、ぼくはいつのまにか圧倒的にモノに囲まれてしまっていた。歓びに充ちたモノだけに囲まれているのであればまた違うのだけれど、そういうわけではなかった。


モノそれ自体を「悪者」にするのではなく、モノに直面しながら、じぶんと<モノとの関係性>を問うてゆくこと。

KonMari Methodも、断捨離も、ミニマリズムもそれぞれに、この<モノとの関係性>を見直すなかで、じぶんの内奥に降りてゆく方法である。モノとの関係のなかに、<じぶん>が見えてくる。そしてそこを起点としながら、これまでの「じぶん」を解体し、あらたに生成させてゆく。つまり、生きかたを変容させてゆく。

ぼくは幸いにも、じぶんと<モノとの関係性>を深く問うということを、「二重のトランジション」のなかで行っている。ひとつには、時代が変わりゆく「時代のトランジション」のなかであり、もうひとつは、ぼくの「人生のトランジション」のなかである。

これら「二重のトランジション」のなかで、ぼくは「トランクひとつ分の幸せ」をイメージとしながら、じぶんと<モノとの関係性>を根源的に問い直している。そして、それは、さまざまな<関係性>を問うことへと、ぼくを押し出してしまうのである。