スティーブン・フォスターという人物。- 『はじめてのアメリカ音楽史』を、音楽を聞きながら読む。 / by Jun Nakajima

 スティーブン・フォスター(Setphen Foster)。この名前を聞いて、この人物のことが思い浮かぶひとは、学校の授業でありとあらゆることを吸収していたか、名前を覚えるのが得意か、あるいは音楽史へと足をふみいれてきたか、いずれにしろ、自身でつくりあげる世界の体系のなかに「アメリカ音楽(史)」が組み込まれているひとたちだ。ぼくは、まったく聞いた覚えがなかった。

 けれども、名前を知らなくても、この人物は(おそらく)きわめて多くのひとたちにとって、それなりに「関わり」のある人物である。ジェームス・バーダマン/里中哲彦『はじめてのアメリカ音楽史』(ちくま新書)は、その関わりを簡明に解きあかしてくれる。

 スティーブン・フォスター(1826-1864)は「ポピュラー音楽の元祖」。フォスターは「歌をポピュラーにすることに成功した最初のアメリカ人」であり、「歌をつくるのを職業にした最初のアメリカ人」であるという(前掲書)。

 彼がつくった歌は、あまりにも有名だ。「故郷の人々(Old Folks at Home)」(別名「スワニー河」)、「おお、スザンナ(Oh! Susanna)」、「草競馬(Camptown Races)」、それに「ケンタッキーのわが家(My Kentucky Home, Good Night!)」。

 曲名を見ただけではわからないかもしれない。音楽ストリーミングやYouTubeで検索して、再生してみればすぐにわかる。「あぁ、あの歌か」といった歌たちが、すべてフォスターの手になるものだとはびっくりである。フォスターは家庭歌謡の「パーラー・ソング(parlor songs)」を135曲つくったようだ。

 バーダマンはつぎのように解説をしてくれる。

 パーラー・ソングというのは、アイルランドやスコットランドの民謡の流れをくむ郷愁歌や上品な音色のラブ・ソングのこと。家庭の居間(パーラー)で演奏されたのでそう呼ばれました。フォスターは自分自身が作詞作曲したものを一般大衆に向けた(ポピュラーな)商品として出版した。フォスターの時代にはまだレコードは存在していませんから、彼は印刷した楽譜を売ることで生計を立てていた。

ジェームス・バーダマン/里中哲彦『はじめてのアメリカ音楽史』(ちくま新書)

 もちろん、フォスターがそのように生きていけたのは、アメリカの経済社会状況が変遷してきたことにもよる。アメリカは独立戦争と米英戦争を経てイギリスから自立し、その流れのなかで「都市」や「市場」がひらけてゆく。こうして商業娯楽の道がひらかれてゆく。

 それにしても、おもしろい。『はじめてのアメリカ音楽史』は読んでいてこころの躍る本だ。でも、この本の第1章を読んでいるあいだ、フォスターの音楽をApple Musicで聴いたりして、だいぶ脱線しながらの読書になってしまう。以前、村上春樹・小澤征爾『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(新潮社)を読んでいたときも、たしかそんな感じだった。村上春樹と小澤征爾の話に耳を傾けながら、そこで語られる音楽を聴く。そんなふうにして、音楽についての本を楽しむ。

 ところで、著者(対談者)のバーダマンは、アメリカの国家「星条旗」にはその前身があることを教えてくれる。「天国のアナクレオンへ(To Anacreon in Heaven)」という曲である。なんと、この歌は酒飲みたちの歌であったという。その歌を「国家」へ昇格させてしまうアメリカも、すごい。