民謡「Row, Row, Row Your Boat」のこと。- 19世記のアメリカの時空間へ。 / by Jun Nakajima

 ぼくのブログのなかでよく読まれているブログに「民謡「Row, Row, Row Your Boat」の人生観・世界観。- シンプルかつ凝縮された歌詞。」があります。2018年の9月に書いた文章ですが、2020年になったいまも、よく読まれているようです。ありがたいことです。

 この民謡「Row, Row, Row Your Boat」をとりあげた最初のきっかけは、この民謡の歌詞の最後に「life is but a dream」という歌詞が出てくるのですが、そのことばについていろいろとかんがえていたことにあります。

 この歌詞に触発された真木悠介(社会学者)がじぶんの生を表現するものとしてこころのなかでつぶやいてきた「人生という旅のことば」(life is but a dream. dream is, but, a life)。ぼくの好きなことばのひとつですが、このことばの源泉をさがしていて、この「Row, Row, Row Your Boat」に辿りつきました。子どもたちが学校などで歌う歌だというのはあとで知ったのですが、ぼくは小さい頃に学校で歌った覚えはありません。でもたしかに、英語圏などではよく歌われているようでした。

 子どもたちに歌われているとのことですが、はたして「life is but a dream」ということばの「意味」はどのように捉えられているのだろうか。ちなみに、ここでの「but」は、英語の試験でもよく出てくるように「only」の意味合いです。つまり、「人生は夢でしかない」ということ。このことばが歌詞の最後に突如あらわれるのです。子どもたちがいきなり「人生は夢でしかない」と言われても、いったいなんのことかわからないだろう、とおもうわけです。

 でも、小さい子どもは「意味」によってこの「世界」を捉えないのでないか。そのように、ぼくの内なる声が語りかけてきました。子どもたちは「世界」をもっともっと「感覚的」に捉えている。ぼくはそう思います。ぼくが子どものころを憶い出しても、歌を歌いながらはたしてそれらの「意味」を正確に捉えようとしていたかというと、けっしてそんなことはなかった、とおもいます。

 だから「life is but a dream」ということばも、子どもたちにとっては「感覚的」に、とうぜんのことのように捉えられている。そんなふうにおもうわけです。

 ところで、この民謡の成り立ちは明確にはわかっていないようです。Wikipedia(英語版)によると、アメリカのミンストレル・ショー(大衆芸能)から生まれ、現在確認できるところでは、1852年に初期の印刷物(※楽譜)が確認されているといいます。作曲と作詞が誰によってなされたのかもわかっていません。

 「ミンストレル・ショー(Minstrel Shows)」とはアメリカで19世紀半ばに誕生した大衆娯楽の形態であるとのことです。Wikipediaの英語版・日本語版ともに、結構詳細に記載されています。詳細を読んではいなかったのですが、ジェームス・バーダマンと里中哲彦の対談からなる『はじめてのアメリカ音楽史』(ちくま新書)を読んでいたら、「ミンストレル・ショーとは何か」にふれられていました。

 白人の役者が顔を黒く塗って芸(歌や踊り、劇など)を披露するという、黒人の軽蔑があからさまな芸能ではあったものの、アメリカの「ミュージカル」へとつながる力線をもっているなど、歴史的には切り捨てることができないものであったようです。

 話を民謡「Row, Row, Row Your Boat」へ戻すと、この民謡は上述のミンストレル・ショーと呼ばれた大衆芸能において生まれてきた歌曲であったというわけです。

 さらに、『はじめてのアメリカ音楽史』においてバーダマンは、当時は歌がお金になるなんて誰もおもっておらず、著作権といった概念もなかったから、「作者不明」という曲がたくさんあるんだということを、語っています。おそらく、「Row, Row, Row Your Boat」もそのような曲群のなかに生まれた曲だったのでしょう。

 それにしても、19世紀のアメリカで、「Row, Row, Row Your Boat」がいったい、どのようにつくられ、どのように歌われ、どのように捉えられていたのか。どんな心情のなかで「life is but a dream」が歌われたのか。ぼくの想像は19世紀のアメリカのひとびとへと投げかけられます。