ニュージーランドで「キウィフルーツ」と「キウィ」に出会う物語。- 記憶と風景と思い出の重なりに醸成される物語。 / by Jun Nakajima

キウィフルーツを朝食に食べる。

香港のスーパーマーケットや市場に行くと、きまって、キウィフルーツが並んでいる。

キウィフルーツだけでなく、ニュージーランドで生産・収穫されたフルーツ(りんごなど)が、いろいろに並んでいる。

20年程前に暮らしていたニュージーランドの記憶と風景と思い出がぼくの中で重なり、ついつい、ニュージーランドの果物に手がのびてしまう。

 

でも、ニュージーランドに住んでいたとき、キウィフルーツをいつも食べていたかというと、そのようなことはなかった。

むしろ、ここ香港で食べている量の方が多い。

それでも、ぼくのニュージーランドの記憶の中には、きっちりと「キウィフルーツ」が存在の根をおろしている。

 

大学の2年を終えて休学し、ぼくはワーキングホリデー制度を利用してニュージーランドに向かった。

ニュージーランドのオークランドに降り立ち、バックパッカー用の宿に泊まりながら、ぼくは住む家を探した。

探し方なんて、まったく知らない中で、新聞か何かの案内を探したりした。

そうして、ようやく見つけたのが、一軒家の中の「フラット」である。

一軒家を7人で借りていたニュージーランドの人たちの内のひとりが何らかの理由で出ていくことになり、一部屋空いたことから、住む人を探していたのだ。

たまたま、ぼくはそのタイミングで広告を見て、入居することになった。

オークランドの中心地から、歩いていける距離であった。

同居の何名かは地方からやってきた、オークランド大学に通う学生たちで、ぼくと同世代ということもあり、住み心地もよかった。

その内のひとりが、あるとき、ダンボール箱いっぱいのキウィフルーツを台所に置く。

田舎から送られてきたのだという。

ちょうどキウィフルーツの収穫シーズンで、とても新鮮なキウィフルーツが詰まっていた。

日本にいるときは、キウィフルーツは若干贅沢品のようなところもあったから、ダンボール箱に詰められたキウィフルーツにびっくりしたものだ。

そして、すすめられて食べたキウィフルーツは、それまでの20年程の人生で食べたことのない美味しさの記憶を、ぼくの中に埋め込むことになった。

美味しいキウィフルーツは輸出されずに、ニュージーランド内で食べ尽くされているのではないかと思うほどであった。

今でも、ぼくは、その時のキウィフルーツの味を追い求めているようなところがあるのかもしれない。

そこにキウィフルーツの「理想」が打ち立てられたようだ。

 

オークランドを去ったぼくは、北島の最北端から南に向かって「徒歩縦断の旅」に挑戦し、4分の1ほどの700キロメートルほどを歩いたところで、その挑戦を断念する。

身体と精神の「限界」のような地点、あるいはそれでも「何かを得た地点」で、ぼくはヒッチハイクで北島の最南端にたどり着き、南島にわたる。

車が真横をとおっていく「徒歩縦断の旅」とは異なって、トランピング(トレッキング)として、山や森や川を歩くことになった。

車両がかけぬけていくこともなく、静かな自然の中を、時に誰一人にも会うことなく、ぼくは一人で歩いてゆく。

冬から春にかけてのときで、まだ山に雪が積もっていることもあった。

時には川の中を歩かなければならなかったり、岩山をよじのぼることもあった。

人は時に、自然にただ一人で向き合うことを必要とするのだということを感じる道ゆきであった。

 

その日は、少し雲がかかり、ぼくは平坦な森の中を歩き、ときに森が開けるようなところをぬけていた。

少し外が暗くなり始めていた頃、ぼくは、思いもかけない「出会い」に言葉を失い、動きをとめる。

ぼくが出会ったのは、野生の鳥「キウィ」であった。

キウィフルーツの名前の元でもある、飛べない鳥の「キウィ」。

確かに、ぼくの前に「キウィ」がいる。

しかし、その時は長くは続かず、キウィは、すぐさま、森の木々の中に身をかくしてしまった。

野生のキウィに会うことは、とても稀であると聞いていたから、それはぼくにとって、ひとつの祝福であった。

 

野生のキウィとの出会いの記憶は、キウィフルーツに対して(あるいは通じて)、独特の感情をよびおこすことになる。

ダンボール箱につめられて、ぼくの前に差し出されたキウィフルーツの「理想」に加えて、野生のキウィとの出会いが、ぼくにとってのキウィフルーツを特別なものに変えたのだ。

野生のキウィによってかけられた「魔法」のようなものだ。

そのようなキウィフルーツ、野生の鳥キウィの記憶と風景と思い出の重なりの中で、ぼくは「キウィフルーツとキウィの物語」をぼくなりにもつことになる。

この「物語」は他者にとってはなんでもないものだけれど、ぼくにとっては、誰がなんと言おうと、「大切な物語」である。