遅ればせながら、東ティモールの「サンタクルス記念日」のことに、ぼくは思いを馳せている。
毎年の「11月12日」が、その日にあたる。
1991年の11月12日、インドネシア占領下の東ティモールのディリで「サンタクルス事件(サンタクルスの虐殺)」が起きた。
独立派の若者がインドネシアの武装集団に殺害され、そのためのサンタクルス墓地での儀礼の際、集まっていた人たちが独立を求めるデモをしたことから、インドネシア軍が発砲。
多くの人たちが亡くなった。
この事件が国際世論の転機ともなり、後の東ティモールの独立につながっていく。
「11月12日」は、今では「サンタクルス記念日」として、東ティモールの祝日となっている。
東ティモールに住んでいたときは、サンタクルスの墓地の近くをよく通ったし、日本から来た人たちをよく案内した。
ポルトガル式の墓地はとてもきれいに維持されていて、ぼくはときおり、事件のきっかけとなった若者の墓の前で立ち止まっては、心のなかでお祈りをした。
サンタクルス記念日にサンタクルス墓地に行くことはなかったと記憶しているけれど、11月12日には、歴史のページをひらき、ぼくはしずかに、東ティモールの人たちのことを思ったものだ。
たいへんな仕事があっても、その思いを糧のひとつとして、ぼくは東ティモールでの支援活動にうちこむことができた。
2007年に東ティモールを離れて香港に移ってからも、サンタクルスのことはなぜかぼくのなかに残り、11月12日にぼくはしずかに、東ティモールの人たちに想いを馳せてきた。
東ティモールの独立への厳しい道のりの象徴として、この事件が取り上げられ、その映像に心をひきさかれてきたことも、ぼくのなかに残っていることの理由のひとつである。
ただ、それ以上に、サンタクルスのあの場にいて虐殺を逃れ生き残った人から直接に、サンタクルス事件の話を聞いたときのことが、ぼくの心身の深いところに残っている。
あの話を聞いたときに、ぼくのなかに、なにかが形づくられたように、ぼくは思う。
ひとことでは言い表せないような思いと感情が、ぼくの心身に伝わり、すとーんと心身の深いところにおちてゆき、深く刻まれることになった。
それは、今でも、ぼくの生きることの「軸」を、確かに支えてくれているもののひとつであるように、ぼくは思う。
生きるということの方向性、人として大切なこと、人との関係ということ、いろいろな問題や課題の解決など、そのような諸々への姿勢・スタンスにおいて、ひとつの<支え>となっている。
心身の深いところに、そのような<支え>のいくつもが存在していて、ぼくを支えてくれている。
「すぐに何かを」というような即効性のあるものではないけれど、ぼくの存在における深い流れをつくっている。
少し遅れたけれど、今年も、「サンタクルス記念日」のことを思いながら、そんなことを感じている。