東ティモール
西アフリカのシエラレオネ、それから東ティモールで働いていたころ(12年から17年ほどまえのことになるけれど)、ドライバーのスタッフの方々が、車両をとても丁寧に、時間をかけて手入れし、メンテナンスしている姿に触発されたことがある。
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西アフリカのシエラレオネと東ティモールではNGO職員として、それから香港では人事労務コンサルタントとして仕事をしてきた。シエラレオネの人たち、東ティモールの人たち、香港の人たち、世界のさまざまなところから来ている人たち、海外で仕事をする日本の人たちと、一緒に仕事をしてきた。
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人間の個としての「自由」ということを、真木悠介(見田宗介)の明晰な論稿によりながら、別のブログに書いた。
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「War is over, if you want it…」。争いは終わるよ、あなたがそれを望むのであるなら。...Read On.
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遅ればせながら、東ティモールの「サンタクルス記念日」のことに、ぼくは思いを馳せている。毎年の「11月12日」が、その日にあたる。...Read On.
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2002年に西アフリカのシエラレオネで仕事(国際協力・緊急支援)をし、2003年に東ティモールに移ってコーヒー生産者支援をしてゆく中で、ぼくはよく「移動」した。...Read On.
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日本では「10月10日」は「目の愛護デー」。10.10を横にしたときに、目と眉に見えるという、ユーモアの効いた日だ。...Read On.
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中秋節と中秋節翌日が過ぎたけれど、香港の街はまだその余韻を残しながら、活気と喧騒の中にあるように見える。コーヒーを飲もうと、Starbucksのプレミア店「Starbucks Reserve」のバーに腰掛ける。...Read On.
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世界のいろいろなレストランで食事をしてきた。思い出深いレストランのひとつを取り上げると、東ティモールのディリ市内にあった「廃墟のレストラン」である。...Read On.
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ぼくは、大学院で研究をしていたときに、取り憑かれたように「自由論」を学んだ。...Read On.
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21世紀最初の独立国(2002年に独立)、東ティモール。ぼくは2003年の半ば頃から2007年初頭にかけて、NGO職員として東ティモールに駐在し、コーヒー生産者たちの支援に携わっていた。...Read On.
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香港のぼくが住んでいるところの界隈は、数日前の台風によって木々たちが倒され、台風が去って2日経ってからも、通路が木や枝にさえぎられている。...Read On.
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東ティモールのエルメラ県レテフォホ。コーヒーの産地である。Peace Coffee Clubによる、レテフォホの素敵な映像に触発されて、ぼくは書く。...Read On.
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久しぶりに、東ティモールの言語である「テトゥン語」を使って文章を書いた。...Read On.
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いわゆる「途上国」と呼ばれる国をおとずれた人たちが、しばしば現場の感想として口にするのは、「懐かしい感じがする」という感覚だ。...Read On.
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真木悠介の著作『旅のノートから』は、とても素敵な本だ(現在は『真木悠介著作集Ⅳ』所収)。...Read On.
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戦争や争いを「なくする」という、「否定の否定」という方法は、否定にいきつく他はないことを別に書いた。だから、問題を「裂開」しなければならない。...Read on.
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「Timofee」という東ティモールの支援プロジェクトのお話を伺う機会を得た。「国際問題の理解を深め、啓発していくこと」を目的とする、慶應義塾大学公認の学生団体S.A.L.に所属している、真摯な青年からの連絡であった。...Read On.
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人生はプロジェクトである。東ティモールのことを思い出していたら、そんな言葉が、ふと、浮かび上がった。...Read On.
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2006年、東ティモールの首都ディリ。ぼくはコーヒープロジェクトのため東ティモールに住んで3年程が経っていた時期のこと。2002年の独立後、平和を取り戻していた東ティモールの街に、また銃声が響く。...Read On.
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