「如何なる教育も健康を損なうようなら間違っている」(野口晴哉)- 今だからこその、野口晴哉著『潜在意識教育』。 / by Jun Nakajima


野口晴哉の著作の中に『潜在意識教育』(全生社、1966年)という著作がある。

体癖研究や整体指導につくす野口晴哉が、専門外でありながらと断りつつも、4人の子供たちの親として語る本である。

著作の最初に「潜在意識教育について」という文章がおかれ、直截的な言葉が置かれている。

 

「如何なる教育も健康を損なうようなら間違っている」

 

とてもシンプルな結論でありながら、この現代社会の中では「むつかしい」ことでもある。

「潜在意識教育」と聞いて、現代の人たちはもとより、当時においても「心の問題」のようなものとして語られるだろうことを想定して、野口晴哉ははじめにストレートに書いている。

 

…潜在意識教育というものも、心の問題として考えているのではなくて、私自身が体の整理ということを仕事にしているので、潜在意識教育も、体の整理のための手段と言うか、その通り道として扱っている。べつだん心のための心の教育とか、今日の社会に必要な人間の教育とかいうことを考えているわけではない。ただ人間の体が健康であり元気であるためには、どのように心を使って行ったらよいか、どういう心の使い方が人間の健康と関連し、人間が丈夫になるのかということが問題であって、私の説くことが今の社会に合うか合わないかは、まだ検討していないのである。

野口晴哉『潜在意識教育』(全生社、1966年)

 

野口晴哉ならではの「切り口」で、潜在意識や教育にきりこみ、その教えの基本の深さから、野口晴哉の他の著作群と同じように「分類不能の書」(見田宗介)となっている。

体の健康の話であり心の話であり、それから子供の話であり大人の話である。

子供や人間の「体」がおきざりにさられがちな現代の状況にあって、今だからこそ、ぼくたちに訴えてくる話にあふれている。

 

【目次】


潜在意識教育について
独立の時期
可能性の開拓
裡の自律性
内在する創造力
空想の活用
人間の自発的行為
価値の創造と価値観の変化
性と破壊の要求
思春期
潜在能力の開発

  1. 暗示からの解放
  2. 推理の能力を開拓する法
  3. 忘れるという記憶法
  4. あなたは自分の体の主人
  5. 予知本能か觀念死か

性格形成の時期

  1. 口のきけない時期
  2. 誕生以前
  3. 生後十三ヵ月間の問題
  4. 食べ過ぎの心理

質問に答えて
非行の生理

 

子供の「教育」の本でありながら、大人の「問題」にも光があてられる。

子供と親の「間」のことが語られながら、大人が抱えている体の問題に、まっすぐに野口の言葉が届いてくる。

ぼくは、自分が子供だったころのじぶんを重ね合わせながら、そこから今も引き継いでしまっているであろう「体」と潜在意識の問題を、野口の教えを導きに、みつめている。

 

ところで、「裡の自律性」という章で、野口晴哉は「躾(しつけ)」の問題に向き合っている。

その中でに、「人間の本性は善か悪か」という節がある。

人間の本性は悪いものだから躾が必要だという考え方と、人間の本性は善いものだから心にあるものを喚び出しさえすればいいのだという考え方の両極を見はるかしながら、野口晴哉は躊躇することなく、「本来の人間の心は善である」と語る。

 

…何故かというと人間は集合動物で、お互いがなくてはお互いに生きられない。そういう構造をしているのだから、いつでも相手の心を我が心とする心が誰の中にでもある。だから産まれる時に何故オギャーと言うかというと、人の助けを求めているのである。自分がここに産まれたという宣言である。人の世話にならなくては大きくなれないように産まれるということはおかしなことで、馬だって、象だって、産まれたらすぐに歩けるのに、人間だけは一年たってもなかなか歩けない。大人の保護を受けるようにできているということは、人間の心が善意であるということを意味している。だからこそ、赤ちゃんはそんな無用心な、保護を受けなければ育たないような格好で産まれてきている。もし善意がなかったら、誰も育ってはいない。お互いに生命を伸ばそうという心があるから、伸ばす相手も伸びてゆくことが嬉しい。…お互いの生命を扶け合うように、人間自体ができている。一人では生きられないようにできている。…

野口晴哉『潜在意識教育』(全生社、1966年)

 

野口晴哉の言葉には、曇りがない。

まっすぐに、人間の「善」を見つめている。

戦争の時代を生きてきた野口が、人の「闇」を知らないわけはない。

ただ、その体というところに降りたった時に、野口はそこに「善」をみるだけだ。

「人間が産まれる」ということの中に、人間や家族や社会ということの本質が詰まっている。

なお、赤ちゃんの「産まれ方」にかんする現代の動物社会学などの学問・科学的な知見は、野口晴哉のこの見方と同じ方向に議論を展開している。

野口晴哉の、この「分類不能の書」は、分類だけでなく、体ということに定位することで、分類だけでなく時代をものりこえてゆく力をもっている。

そのような力をもつ本と思想は、この本が出版されてから50年が経っても、まだ依然として語り尽くされていない。