月あかりからもらってきた「おはなし」。- 香港で、満月の月あかりに照らされて考える、「非意識」からやって来た宮沢賢治作品の普遍性。 / by Jun Nakajima


宮沢賢治のことをかんがえながら、ちょうど月が満月になるタイミングが重なって、ぼくの中では、だれもが知るところの『注文の多い料理店』の序に書かれた文章が浮かんでくる

 

 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。
 ほんたうに、かしはばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるへながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたがないのです。ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたくしはそのとほり書いたまでです。

宮沢賢治『注文の多い料理店』序、青空文庫

 

今から20年程前に行われた、宮沢賢治をめぐる座談会(「可能態としての宮澤賢治」雑誌『文学』岩波書店)で、見田宗介はとても面白い問題を提起している。

近代的自我という視点において、「近代的自我の表現としての文学、という方向を原的に批判する思想としての賢治作品」として、見田宗介は宮沢賢治の作品をとらえている。

 

見田 自我の問題でいうと、宮澤賢治の作品というのはフロイトが言うような無意識と同じものではなくて、ユングの言う無意識とも違う。だから精神分析学で言う無意識というより、もう少し非意識みたいな、<意識でないもの>というような感じのところから来るものがあるようにみえる。…作品がどこから来るかというのは、作者の意識から来るというのが一つの典型的な形としてある。もう一つは作者の非意識から来るというのがある。それともう一つは作者以外のところから来る、作者の外部から来るみたいなところがある。…

「可能態としての宮澤賢治」雑誌『文学』岩波書店、1996年

 

見田宗介は、谷川俊太郎から聞いた、大江健三郎の発言も紹介している。

大江健三郎は谷川俊太郎との会話のなかで、「最初の二つの作品で無意識は全部使い果たした」ということを語ったという。

それ以降の作品は意識で書いている、と。

無意識を使って書かれた作品と文学作品における「普遍性」ともからめながら、宮沢賢治の作品の「普遍性」も、賢治作品が非意識から来ているということと関係しているのではないかと、見田宗介は語っている。

賢治作品は、よく知られているように、アメリカの原住民の人たちが深い共振を示したと言われている。

月あかりからもらってきた「おはなし」は、人と人との境界を、超えてゆく。

 

宮沢賢治は、冒頭の「序」のなかで、「ほんたうに」という言葉をくりかえしつかっている。

虹や月あかりからもらったとしか言いようがない仕方で、非意識から届けられた「おはなし」は、宮沢賢治が自身にたいしても「ほんたうに」と言うしかないような作品が立ち上がってきたのだろうと、思われる。

『注文の多い料理店』だけでなく、例えば『鹿踊りのはじまり』は「すきとおつた秋の風」から聞いた「おはなし」である。

月あかりは、西アフリカのシエラレオネにいても、東ティモールにいても、それからここ香港にいても、ぼくに光をそそいでくれる。

ぼくたちが心を「ほんたうに」すきとおらせていけば、「おはなし」は聞こえてくるはずだ。

「近代的自我の表現としての文学」に見られるように、近代や都市という「脳化社会」(養老孟司)において意識や意味などにだけ水路づけられた生においては、「おはなし」は容易には聞こえてこないかもしれない。

 

この文章の最初に置いた「序」は、宮沢賢治の次のような言葉で終わっている。

 

…わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません。

宮沢賢治『注文の多い料理店』序、青空文庫

 

「すきとほつたほんたうのたべもの」が、生をひらく水路をひらいていくための「たべもの」となるかどうかは、宮沢賢治の「ちいさなものがたりの幾きれ」にではなく、ぼくたち自身に賭けられている。