東ティモールでは、テトゥン語(Tetum, Tetun)で
生きてきた。
「テトゥン語で生きる」とは、文字通り、テトゥン語が
できないと、会話ができないということ。
英語が通じない。
首都ディリであれば、英語でも生きていくことができる。
ただし、首都ディリを離れると、テトゥン語あるいは
インドネシア語(あるいはその地方の言語)ができないと
生活が困難である。
仕事場は、首都ディリとコーヒー生産地のレテフォホ。
レテフォホに行く時は当初「通訳」をお願いしていた。
ただし、毎回というわけにはいかない。
いつしか、必要性にかられ、ぼくは、テトゥン語を
覚えていった。
これまでに学んできた英語と中国語とは異なり、
最初から「話す」「聞く」から始めた。
そして、後に、文法や単語の綴りを学ぶ。
日本での言語教育と逆の方法。
文字というより音で学ぶ。日々の会話で学ぶ。
その内、日常会話はもとより、スタッフとの会議、
コーヒー生産者との会議、さらには農業省での
プレゼンテーションもテトゥン語でできるようになった。
この言語習得経験は、学ぶことが多かった。
- どんな言語でも学ぶことができるという感覚
- 「必要性」という環境設定の有効性
- 「音」から学ぶことの有効性
世界で約80万人が話すというテトゥン語。
「テトゥン語ができるようになったとしても
80万人しか喋れないからなあ」
当初はそう思っていた。
しかし、テトゥン語で生きていくことから多くを
学んだ。
そして、東ティモールの人たちと生きていくことが
できた。