ソーラーパネルが届ける「光」。- 東ティモールでの「小さなランプ」の記憶。 / by Jun Nakajima


香港で、海岸線を歩き/走りながら、
道の片隅に、ソーラーパネルを見つ
ける(*写真)。
海岸通りの公園に設置された装置の
一部が、太陽熱により作動している。

ソーラーパネルは、
ぼくが、西アフリカのシエラレオネ
と東ティモールにいたときのことを
思い出させる。

どちらの国でも、
ぼくが住んでいた当時、
一部の地域しか電気が通っておらず、
また、電気が通っていても時間制限
がかけられていた。
だから事務所等には、電気発動機を
設置していた。

東ティモールのコーヒー生産者たち
が暮らす山間部は、当時、まだ電気
が完全には通っていなかった。

山間部の街の「中心エリア」には、
時間統制(電気がくる時間帯が決めら
れている)により、電気が通っていた。
しかし、街の中心を超えて、村々に
入っていくと、電気が通っていない。
夜は、灯油ランプなどで過ごすことに
なる。

ただし、電気にしろ、灯油ランプに
しろ、それなりのコストがかかる。
コーヒーの品質を上げていくことで
コーヒーをより高い価格で売って
世帯収入を増やすプロジェクトをして
いく中で、世帯支出を考えてしまう。

東ティモールの一人当たりGDPは
当時、400~500米ドル台であったか
と記憶している。
コーヒー生産者たちの収入も見ながら
一年間をやりくりする「困難さ」を
肌身で感じる。

そんな環境に暮らしながら、
太陽熱発電・ソーラーパネルの情報
には、常に、ぼくのアンテナが張られ
ていた。

そんな折、インターネットで、
太陽熱発電の「小さなランプ」を
発見する。
同僚と話しながら、ぼくたちは、
この「小さなランプ」を生活に取り
入れて試すことにした。
もともとの仕様は、玄関口に設置して
おくタイプのもの。
昼に太陽光を取り入れ、暗くなると
自然とランプがつく。
値段もそれほど高いものではない。

東ティモールの昼の照りつける太陽
の下に置いておき、夜はそれを使う。
いったん生活に取り入れてみると、
これほど便利なものはない。
東ティモールのスタッフたちの評判
も高かった。

その後、東ティモールの騒乱があり、
プロジェクトにかかりきりになり、
それからぼくは東ティモールを出る
ことになった。
あのランプが、どうなったかは、
定かではない。

しかし、このような場所での
太陽熱発電の可能性は、
決して小さくはなっていないと、
ぼくは思う。

香港で、インターネットで検索を
していたら、
やはり、「太陽熱発電の可能性」を
追求してきている人たちがいるのを
知った。
国レベルの大きなプロジェクトも
あれば、ぼくたちが追求していた
世帯レベルのプロジェクトもある。

様々な人たちが、様々な仕方で、
考え、知恵を合わせ、支援し、
そして確実に「誰かの世界」を
変えている。

香港の道端のソーラーパネルを
見ながら、ぼくはそんなことを思う。

世界は、必ずしも、争いと報復の
絶えない、場所というわけではない。
世界では、今日も、ある人(たち)
は他者を思い、考えを尽くし、知恵を
出し合ってアイデアをつくり、世界に、
「小さな明かり」を灯し続けている。

それは、太陽のように大きくはない
けれど、確かな「光」を届けている。
そして、ソーラーパワーが自然の力で
あることと同じに、
この「光」は、人間に本来埋め込まれ
ている「自然な力」である。