大学の2年目を終えた1996年。
ぼくは1年休学してニュージーランド
で暮らすことにした。
ワーキングホリデー制度を利用して
ニュージーランドに降り立った。
大学では中国語を専攻していた。
中国に留学することも選択肢の
ひとつであったけれど、
英語圏で暮らしてみたかった。
高校生のときくらいから英語圏で
暮らす夢を抱いていた。
しかし、大学を選ぶときには、
将来仕事に役立つ「つぶしがきく」
言語を選んだ。
中国は国際社会で益々力をつけて
きていた時期であった。
ニュージーランドへは「英語圏で暮らす」という夢と共に、ぼくはいくつかの「目標」みたいなものをもっていった。
・英語を学ぶこと
・自分と将来のことを考えること
・悔いの残らない経験をすること
それから、ぼくは「異国で暮らす」
ことの中に、試みであり、望みである
ようなものをもっていた。
それは、ぼくの「学歴を消した生活」
であった。
東京で暮らしていると、
「学歴」がいろいろなところについて
まわる。
それは、ただ、ぼくがそう思っていた
だけかもしれないけれど、
ぼくは「学歴」で見られ、幾分か判断
されることが好きではなかった。
大学自体が嫌いであったということで
もなかった。
外国語の大学ということで、
日本だけでなく世界を見据えている
人たちが集まっている環境はよかった。
日本の大学については、海外に行くと、
知っている人たちはあまりいない。
ましてや、ぼくの大学は、日本でこそ
有名だけれど、
海外で知っている人はまずいない。
だから、異国の地で、学歴を消して、
ぼくは生きてみたかった。
しかし、学歴が気にされない・気に
ならない生活は、解放感があるのと
同時に、実際には「不安」のような
ものもついてまわった。
日本では学歴を消したかった自分で
あったが、自分のどこかでは、頼る
ところもあった。
そんな「依存」は、しかし、
異国の地であっけなく意味をなさなく
なってしまう。
ニュージーランドのいろいろな人たち
に出会い、いろいろと聞かれる。
その中に「どの大学」なんて質問は
もちろん、まったくなかった。
「あなたは普段何をしているのか?」
「これまでどんなことをしてきたのか?」
「家族は?」
「あなたは将来何をしたいのか?」
でも、ニュージーランドで会う人たち
に、「ぼくのこと」を聞かれると、
ぼくはあまり語ることを持ち合わせて
いない、という事実にぶちあたること
になる。
ぼくは「語る物語」を単純にもって
いなかった。
また、もっていたにしても、「物語」
として取り出す方法を知らなかった。
そして、語り方も知らなかった。
それから、徐々にだけれど、
「ニュージーランドで暮らすこと」は
「語る物語」をつくっていくことに
なっていったように、今のぼくは思う。
読んでいた本の中の、
ジョン・レノンの言葉が、
ニュージーランドのオークランドに
着いたばかりのぼくに突きささる。
ジョン・レノンはこう語る。
「自分の夢は自分でつくるしかない
んだ。僕は君をいやせやしないし、
君も僕をいやせない。」
それから、ニュージーランドで、
シェアハウスの一部屋を借りて
ニュージーランドの人たちと暮らし、
日本食レストランで働き、
そして、ぼくは、徒歩縦断の旅に出る。
スペインの聖地巡礼と同じくらいの
距離だろうか、700Km程をひたすら
歩いて、ぼくは断念する。
そして、ニュージーランドの山々を
登り、歩く。
その途中で出逢う人たちは、
誰も、ぼくに「学歴」なんて聞かな
かった。
ぼくは、オークランドでの生活の
ことを語り、徒歩縦断の旅を語った。
しかし、残るものもあった。
学歴は消えたけれども、
「日本人」ということが残った。
悪い意味合いではなくて、
出逢う人たちの「興味」につながる
事実であった。
そしてぼくは、「日本」をあまり
知らない自分に対峙せざるを得なく
なった。
もちろん、そんな「境界」がまった
くなくなるときも多々あったことは
付け加えておかなければならない。
それから、ぼくは西アフリカの
シエラレオネ、東ティモール、香港
と、生活の拠点を移動してきた。
香港では見た目はぼくが日本人だと
わかる人はほとんど会ったことが
ないけれど、それでも、いろいろな
意味で、「日本、日本人」という
ことが、ぼくの生活についてまわる。
そのことは、また別の機会に書きたい
と、ぼくは思う。
人は、時に、
「ここではないどこか」を希求し、
「自分ではない誰か」を希求すること
がある。
ここではない「どこか」へ行くことで、
望むようになることもあれば、
気がつけば「ここ」と変わらない
現実にもどってくることもある。
自分ではない「誰か」になろうとして
望むようになれることもあれば、
気がつけば「自分」という事実が
つきつける現実にもどってくることも
ある。
そんなことは無駄じゃないかと言う人
はいるかもしれない。
しかし、ある意味、それが生きると
いうことであり、
その過程の「越え方」によっては、
現実にもどったように見えて、実は
現実の「風景」が異なってみえること
もあると、ぼくは思う。