「Timofee」という東ティモールの支援プロジェクトのお話を伺う機会を得た。
「国際問題の理解を深め、啓発していくこと」を目的とする、慶應義塾大学公認の学生団体S.A.L.に所属している、真摯な青年からの連絡であった。
「Timofee」(由来はTimor + Coffee)とは、ホームページによると、「東ティモールを焦点に当てて活動する学生団体S.A.L.のプロジェクト」。
クラウドファンディングによって、資金を集め、プロジェクトを展開する。
第一弾は2015年から2016年にかけて「フリーマガジン Timofee」の制作・配布(完了)、そして現在、第二弾「スタディツアー」。
企画を立て、今は、クラウドファンディングで資金集めを行なっている(2017年7月14日まで。※リンクはこちら)。
プロジェクト第一弾の「フリーマガジン Timofee」は、日本語版・英語版・テトゥン語で制作し、1000部のテトゥン語版を東ティモールで配布したという。
日本語版は、ホームページ上で、見ることができる(※リンクはこちら)。
写真をふんだんにとりいれ、コラム、漫画などを組み合わせ、デザイン性にもすぐれた雑誌に仕上がっている。
コラムにも書かれているように、東ティモールと聞くと、多くの人は「危険」「紛争」ということをイメージするが、雑誌のデザインと色調はそんなイメージを払拭する。
雑誌は「何もない国」という文章からはじまる。
「何もない国」
旅人はこの国をそう呼ぶ。
何もない国とは、
おそらく目立った所がない国という意味だろう。
…
だが、旅人が気づきにくいだけで、
この国はたくさんの魅力で溢れかえっていた。
それらはどれもこれも鮮やかで見たことのないものばかり。
今はまだ何もないと言われる国、
だったら世界に見せつけてやろうじゃないか。
さあ、東ティモールを彩ろう。
『Timofee』Vol.001 (Spring, 2016)
「さあ、東ティモールを彩ろう」という言葉に導かれながら、写真とコラムが、東ティモールを語っていく。
2003年、ぼくが西アフリアのシエラレオネを後にし、次の赴任地である東ティモールの首都ディリに降り立ったときのことを思い起こす。
空港から事務所に向かう幹線道路から「何もない」街並みを、ぼくは目にする。
夜で暗かったのもあるし、当時は信号もなかったこともあって、その「何もなさ」は想像を超えるものであった。
そして、社会学者・真木悠介の名著『気流の鳴る音』の一節が、ぼくのなかで湧き上がる。
真木悠介は、マヤのピラミッド(そしてその周りにどこまでも広がるジャングル)を目の前にしながら思ったことを、次のように書きとめる。
…ピラミッドとはある種の疎外の表現ではなかったかという想念が頭をかすめる。幸福な部族はピラミッドなど作らなかったのではないか。テキーラの作られないときにマゲイの花は咲くように、巨大な遺跡の作られないところに生の充実はあったかもしれないと思う。…
真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房
首都ディリにはじめておりたってから、その後3年半を、ぼくは東ティモールで過ごす。
ピラミッドのごとく「文明的・都市的」なものはなくても、ぼくは、東ティモールで「生の充実」を生きていくことができた。
東ティモールを去ってから10年経って、自分のなかで立ち上がってくるような風景があったりもする。
雑誌『Timofee』のコラムは繊細な筆致でその一端をつかんでいる。
いろいろと学ばせていただきながら、他方、東ティモールが「世界につながっていること」を、嬉しく思う。
現在、進めているという第二弾「スタディー・ツアー」でも、そんな「世界のつながり」をつくろうとしている。
この企画では、東ティモールの大学生5名を日本に招く。
そして、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県女川町を訪問することで、「ゼロからのまちづくり」と「東ティモールの国づくり」をつなげる。
スタディーツアーの企画を拝見し、雑誌『Timofee』を読み、真摯な一青年のお話を直接に伺いながら、ぼくは、メンバーの方々のコミットメント、行動力、フットワークなどに、感心してしまう。
雑誌『Timofee』が東ティモールを照らす仕方と同じように、活動は「肯定性の彩り」に充ちている。
それは、明るさをたたえている。
ただし、表面的な「明るさ」ではなく、明るさのなかに「輝き」をもっている。
「明るさはあるが輝きのない」現代のさまざまな事象のなかで、肯定性の彩りは、明るさと輝きを共に宿しているように、ぼくには見える。