真木悠介の著作『旅のノートから』は、とても素敵な本だ(現在は『真木悠介著作集Ⅳ』所収)。
真木悠介が、「18葉だけの写真と30片くらいのノートで、わたしが生きたということの全体に思い残す何ものもないと、感じられているもの」である。
もともと「私家版」のようなものとしてつくり、好きな人たちに贈るつもりでいたという。
30片の「ノート」の最後は、「えそてりか I」というタイトルがつけられている。
1990年のインドへの旅の後に書きつけた、この世界の見方、語り方、そして生き方についての「私記」である。
ただし、この「ノート」は、世界の見方の「過ち」、世界を語る仕方の「過ち」から書き始めている。
この世界では、見てはいけないものがあり、語ってはいけないものがある。
ここでは、「金の卵を生むニワトリ」の話が、例のひとつとして、あげられている。
金の卵を生むニワトリがいました。そのニワトリのもち主は、こんなにたくさんの金の卵を生みつづけるのだから、その「本体」はどんなに巨きな金の塊だろうと思ってそのニワトリをしめてみると、ふつうのニワトリの肉の塊があるだけでした。
真木悠介『旅のノートから』岩波書店
「花」もそうであろう。
花の美しさにみちびかれて、人は、「本体」はどんな美しさをたたえているのかと花をむしりとる。
むしりとって見たところで、そこには根があり、茎があるだけだ。
日本では江戸時代まで、花をむしりることは禁じられていたという。
それは、畏れの感覚にささえられたものであっただろうけれど、他方で、「世界の見方」を人々はどこかで知っていたのだということもできる。
人は、経験の煌きに導かれて、経験の「核」への衝動にとらわれる。
真木悠介は、「語ってはいけないこと」にふれて、こう書いている。
ぼくたちの一番大切な経験は、そこからきらめく言葉たちが限りなく飛び立ってゆく源泉である。けれどもこの源泉自体を言葉にしてしまおうとするなら、ぼくたちは何もかも失ってしまう。
真木悠介『旅のノートから』岩波書店
語ること、言葉にすることで、切り開かれる世界や歓びの倍増を経験することもあるけれど、村上春樹が「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」と書くように、ぼくたちは言葉の限定性のなかで生きる。
言葉にすることで、経験や出来事が、ありふれたものになってしまう。
真木悠介は、「性、という出来事じたいの煌きと深さ。と、性について語ることの無残との落差。見ることの無残との落差。」と、ぼくたちの一番大切な経験のひとつを例として挙げている。
この一番大切な経験の「源泉」自体、真木の別の言葉では「生のリアリティの核のところ」に、ぼくたちは、わけいってはいけない。
では、どうすればいいのか。
「えそてりか I」の最後には、こう書きつけられている。
それに照らされた世界を見ること。
それに陽射された世界を語ること。
それに祝福された世界を生きること。
真木悠介『旅のノートから』岩波書店
18葉の写真の一葉一葉、そして30片のノートの一片一片が、生きることの核に、照らされた世界、祝福された世界の輝きが戯れている。
『旅のノートから』の表紙の写真、インドのコモリン岬の子供たち(その感動的な話は、見田宗介『社会学入門』(岩波新書)のなかで、語られている)。
この写真を見ていたら、ぼくは、『東ティモールを知るための50章』(明石書店)の表紙の写真を思い出した。
ぼくが、東ティモールのレテフォホで撮影した写真だ。
コーヒーパーチメントと呼ばれる、コーヒー豆に殻がついた状態のものを乾かしている工程のなかで、村に立ち寄った際に撮った写真だ。
その写真を再度見ながら、ぼくは思う。
この一葉も、陽射され、祝福された世界の輝きが戯れているのだ、と。