ぼくが、日常で洋書を手にするになったきっかけのひとつは、シドニー・シェルダン(Sidney Sheldon)の作品である。
シドニー・シェルダンは、アメリカの脚本家・小説家。
今の10代・20代の若い世代には馴染みがない名前だろう。
1980年代から1990年代にかけて多くの作品を世におくりだし、2007年に他界した。
サスペンス的なプロットに読者をひきこみ、日本でも翻訳がベストセラーとなり、当時は書店のすぐ目につくところに並べられていた。
だから、「シドニー・シェルダン」の名前は知っていた。
新聞紙面でも、シドニー・シェルダンが「英語教材」として扱われている広告を、よく目にしていた。
大学に入り、英語をもっと勉強しないとという焦燥感を抱きながら、シドニー・シェルダンの名前は、ぼくの頭の片隅に置かれていた。
でも、当時は特に本を読むことを常としていなかったし、サスペンス的な小説には関心をもっていなかった。
そんな状況に変化があったのは、大学2年終了後に休学届けを大学に出して、ニュージーランドにいったときのことであった。
ワーキングホリデー制度を利用しての滞在であった。
オークランドの日本食レストランでウェイターとして働きながら、休日はオークランド図書館や古本屋に足を運ぶようになった。
ぼくは、古本屋で、ビートルズの伝記などと共に、シドニー・シェルダンの作品のペーパーバック版を手にした。
「ペーパーバック」の本には、少なからず、あこがれを抱いていたこともある。
バックパッカーとして海外を旅するようになってから、バックパックとペーパーバックがある風景に、かっこよさを感じたのだ。
旅先で会う、世界からのバックパッカーたちは、背中に大きなバックパックを背負い、その中には必ずと言っていいほど、ペーパーバックの本が数冊詰められていた。
まだ、電子書籍がない時代だ。
旅先の宿で、旅先のカフェで、ペーパーバックが風景のなかで欠かすことのできない一部を成していた。
母国語を英語としない人たちも、英語のペーパーバックを読み、読み終わっては宿に寄贈していく。
ぼくは、そんな旅の風景が好きだった。
ニュージーランドに住むという経験のなかで、英語を修得するという目標のためにも、英語の原書にチャレンジする。
しかし、そこには、「あこがれ」のイメージを重ねて、「かっこよさ」の風景をつくりあげていく。
そのようにして、ぼくは、英語の本たちと仲良くなりはじめた。
でも、「英語を学ぶ」ということで読み始めたシドニー・シェルダンは、最初の導入部分さえ超えてしまうと、ページを繰る手がとまらなくなってしまった。
英語は比較的容易な語彙が使われ、物語のリズムとプロットが幸福な調和をつくることで、読者を物語の世界にひきこんでしまう。
こうして、「英語の学び」ということは、いつしか地平線の彼方にきえてしまい、そこには「楽しさ」が現れることになった。
楽しさは、本の最後まで、ぼくたちを届けてくれる。
途中、わからない単語はあまり気にしない。
本の楽しさとリズムという「波」が、地平線をこえて、ぼくたちを「沖」までつれていってくれる。
英語の本を一冊読みきる、という経験がつみあがる。
そして、また、古本屋で、シドニー・シェルダンの一冊を手にとる。
シドニー・シェルダンは、だいたい、どこででも、手にいれられるのだ。
そんな経験の積み重ねのなかで、ぼくは、日常のことのように、洋書を読むようになった。
洋書を日常として読めるということは、ベネフィットも大きい。
- 著者独特の語りのリズムや語彙を楽しむことができる。
- 英語を学ぶことができる。
- 翻訳を待つ必要がない。
- 翻訳されない良書に触れることができる。
- 翻訳では意味がとれない場合(翻訳がまちがっている場合)を避けることができる。
- 世界で出会う人たちと内容等について語ることができる。
まだ、ベネフィットはあるだろう。
しかし、そんなベネフィットをひっくるめて、ぼくは何よりも楽しんでいる。
シドニー・シェルダンがまだ生きていたら、とぼくは思わずにはいられない。
もっとたくさんの作品を、ぼくたちは楽しむことができたはずだ。
とても残念だ。
しかし、シドニー・シェルダンは、ぼくにもっと大きなものを残してくれたようにも思う。
それは、本を読むという楽しさであり、洋書(原書)を読むという楽しさである。
シドニー・シェルダンの作品は有限だけれど、楽しむ仕方は無限だ。
この「楽しむ」という無限を、彼は、肩肘はることなく、ぼくに魅せてくれた。