中学生にあがる少し前から英語を勉強しはじめて、その後もぼくにとって「英語」はとても特別なものであったし、あり続けている。
そして、「英語」という世界から、英語を鏡のようにして「日本語」を眺め、日本語の奥行きの深さを感じたりもする。
この、英語と日本語の「間」の空間が大切である。
日本語だけで考え、聞き、話すというのとは異なるところに、英語はぼくをつれていってくれる。
「論理・ロジック」を正面から意識して論文におとしはじめたのが、ぼくが初めて本格的に「英語の論文」を書いたときであったことは、偶然ではない。
思想家の内田樹が、「英語で語るということは…」について、とても整然に、イメージの豊かな仕方でまとめている。
英語で語るということは、英語話者たちの思考のマナーや生き方を承認し、それを受け容れるということなのです。
逆から言うと、日本語で思考したり表現したりするということは、日本語話者に固有の思考パターン、日本人の「種族の思想」を受け容れるということです。
そういうふうにして、自分が「個性」だと思っていたものの多くが、ある共同体の中で体質的に形成されてしまった一つの「フレームワーク」にすぎない、と気がつくわけです。
じゃあ、自分はいったいどんなフレームワークの中に閉じ込められいるのか、そこからどうやって脱出できるのか、というふうに問いを立てるところから、はじめて反省的な思考の運動は始まります。
「私はどんなふうに感じ、判断することを制度的に強いられているのか」、これを問うのが要するに「思考する」ということです。
内田樹『疲れすぎて眠れぬ夜のために』角川書店
言語は、コミュニケーションの手段であり、異文化という環境においては、その手段性はさまざまな場面で喫緊性をもって立ち現れる。
旅行におけるシンプルな会話であったり、日常会話などの次元では、手段としてのコミュニケーションはその役割をいかんなく発揮する。
しかし、人と人とのかかわりにおける深い次元に入っていこうとすると、いろいろとすれ違いや勘違いなどが起こってくる。
そんなところから、ぼくたちは閉じ込められた「フレームワーク」を思考しはじめるのである。
ぼくにとって「英語」が特別なものとしてあり続けてきた理由のひとつは、この「フレームワーク」を客観視しやすくしてくれる、つまり思考することの視点をあらゆるところにつくってくれるからであると、ぼくは思う。
子供として成長していくなかで、日本語という「言葉」は、ぼくを「守るフレームワーク」として、ぼくを形成していく。
しかし、いつしか、ぼくはその「(ぼくを守る)フレームワーク」の閉じ込められている息苦しさを感じる。
そんなときに現れた「英語」という異なる言葉は、異なる「フレームワーク」を提示してくれる。
「ここではないどこかへ」という焦燥で、身体は海外に飛び立つ。
ぼくの「身体」はさまざまなことを感じ、考える。
しかし、頭の中は「日本語のフレームワーク」が作動し、日本的なマナーと生き方の視点から、物事を解釈していく。
そのような異文化という環境で、「自分はいったいどんなフレームワークの中に閉じ込められいるのか、そこからどうやって脱出できるのか」(内田樹)と問いを立てはじめる。
ぼくの「思考」の旅がはじまり、その旅は今も続いている。