音楽グループKiroroの歌「未来へ」の中に、次のような歌詞がある。
自分のストーリーだからこそ諦めたくない
不安になると
手を握り 一緒に歩んできた
Kiroro「未来へ」(※Apple Musicに表示される歌詞より)
じぶんの「夢」を追うなかで、空高くにある夢に届かず、不安におしつぶされそうななかで、あきらめまいと、母のことを思い出す。
「自分のストーリー」は、この歌詞の直前におかれる「夢」のことである。
「自分の夢」とは言わずに、「自分のストーリー」である。
1)ストーリーとしての「夢」/夢としての「ストーリー」
「夢」とは、未来におかれる。
正確には、未来は現在の自分の中におかれるのだけれど、それは時間的に「先」にある未来である。
「ストーリー」であるということは、その「未来」に向かう道程も含めて、じぶんの「内面」に描いていくことだ。
その道程は、楽しいことばかりでなく、大変なことも不安も含めて、いろいろなものが道いっぱいに散りばめられている。
今を生きながら、でも未来を見ていく。
未来を見ながら、今を生きていく。
そのようなところに、この歌は、ぼくたちの視野をひろげてくれる。
2)「自分の」ストーリーであること
「ストーリー」は、「自分の」ストーリーである。
ストーリーでは、自分が「主人公」である。
主人公であるということは、狭い意味での「自分中心・自己中心」ということではない。
映画の主人公に対して、(主人公であるということそれ自体として)「あなたは自己中心的だ」などとは、ぼくたちは普通は言わない。
じぶんが主人公であることで、じぶんを生きていくことで、ぼくたちは、他者に何かを届けることができるし、ときには他者を救うことだってできる。
3)ストーリーは「諦めること」はできない
夢としてのストーリーは、諦めることができる。
でも、「ストーリー」そのものは、諦めることができない。
夢を諦めることで、異なった「ストーリー」がやってくるだけだ。
「自分のストーリーだからこそ諦めたくない」と歌われるとき、それは「夢としてのストーリー」を諦めないということである。
夢と夢を持つことで生きることの内実を手放すことなく、そのさまざまな彩りを生きていくことを、じぶんに語りきかせている。
こうして、この歌の中では、いくども、次の歌詞がじぶんに投げかけられている。
ほら 足元を見てごらん
これがあなたの歩む道
ほら 前を見てごらん
あれがあなたの未来…
Kiroro「未来へ」(※Apple Musicに表示される歌詞より)
「自分のストーリー」を生きていくこと。
過去における母の面影と思い出を思い浮かべながら(そして気づきながら)、未来へと、前へと視線を向ける。
それは未来によって今が収奪されるのではなく、未来をもつことで、今が豊かになる生である。
「足元」に歩む道、そして(ぼくの想像だけれど)そこに咲く花々へと視線がうつされながら、創られながら創る「自分のストーリー」は生きる力を宿していくことになる。