「学ぶ」ということの深い意味を体験としてわかりはじめたことのきっかけのひとつとして、経済学者であった内田義彦の著作があった。
かすかな記憶では、大学での「国際経済学」講義の課題図書のひとつであったと思う。
社会科学を学ぶことで物事を視るための<メガネ>を変えていくというようなことを、ぼくは内田義彦から学び、その「教え」に触発されながら、ようやく<学ぶこと>を理解しはじめ、やがて、<メガネ>を変えることで、世の中が違って見えるようになることに、驚きと興奮、そして(ぼくにとっての)救いのようなものを感じた。
それまで20年間生きてきたなかで、ぼくのなかに蓄積されていた「言葉」や「考え」が、確固たるものではなく、<不確かなもの>として立ち上がってくるようになった。
ぼくが小さい頃から「違和感」を感じ続けてきたことのひとつとして、「現実(リアリティ)」、そして「夢」ということがある。
世間も大人たちも「現実を見なさい」と語り、見えないプレッシャーを投げかける。
そこで語られる「現実」ということに、ぼくは違和感を感じ続けてきたのである。
ようやく<学ぶこと>をしはじめたぼくは、いろいろな人たちの著作のなかで、多様で深い「言葉」と「思考」に出会い、これまで蓄積されていた言葉や考えを解体していくようになった。
これまでの言葉を<括弧でくくる>ことで見直し始めた頃、作家の辺見庸の著作群に出会い、辺見庸が影響を受けてきた作家などにも手をひろげていき、そのなかに作家の埴谷雄高(はにやゆたか)がいた。
「夢と現実」について次のように語る埴谷雄高に、ぼくは出会う。
…夢について、初めは誰でもそうでしょうけれども…現実の人間の生活から遠く離れた架空な、きれぎれな低次な意味しかもっていないものだと思っていた。人生の小さな装飾というぐらいにみていたのです。ところが、成長するにつれて、考え方が逆転してきて、どうも僕たちの現実自体が夢を見る見方にこそ支えられているという気がしてきた。夢を見ているその夢の枠から「僕」がでれないとまったく同じ仕方で、まったく同じ制約法でどうも僕たちは「僕」と「もの」のなかにいる。こう思えてくるとどうも夢のほうが僕たちの生を支えている素朴な原型であって、われわれのもっているこののっぴきならぬ思考法はむしろ夢に規定されている。…
埴谷雄高『凝視と密着』未来社、1969年
ここでは「夢」というものが、きれぎれなものから生の素朴な原型というものにいたるまで重層的に語られている。
「人生の小さな装飾」としての夢が、成長の過程において<括弧>くくられ、現実を包摂するようなものとして生きられ、感覚され、見晴るかされている。
それは、ぼくの生きることの経験に根ざした直感に、直接に接続される言葉の表現を与えてくれるようなものであった。
そのような言葉との出会いが、人の生の道ゆきを照らし出してくれる光源となってくれる。