「言葉」をとことんつきつめるチーム・組織。- 「言葉」がむずかしい時代だからこそ。 / by Jun Nakajima

津田久資は、トヨタや日産よりも遅れて四輪自動車の業界に参入したホンダの創造性が「論理思考の賜物」であったのだと、「論理思考」を語る本(『あの人はなぜ、東大卒に勝てるのかー論理思考のシンプルな本質』ダイヤモンド社)のなかで書いている。

そして、その「論理思考」における本質を、「言葉への徹底的なこだわり」であったと見ている。

 

 かつてホンダの経営企画室長だった小林三郎さんによれば、同社の研究開発を担う本田技術研究所は、社内では「本田言葉研究所」と呼ばれていたそうだ。

「技術やクルマの研究の前に、言葉を巡って延々と議論が続くからだ。……(中略)新車の商品コンセプトを表現する言葉を決めるためだけに、3日3晩のワイガヤを3回やった開発チームもあった。とにかく、言葉に対するこだわりが半端ではない。そのため、技術ではなく言葉を研究しているという所という意味を込めて、本田言葉研究所と呼んでいたのである」(「日経ものづくり」2011年5月号より)

津田久資『あの人はなぜ、東大卒に勝てるのかー論理思考のシンプルな本質』(ダイヤモンド社)

 

「技術研究」ということからは一見すると遠くに位置する「言葉」というものを、とことんつきつめて、研究開発を駆動させてゆく「本田言葉研究所」。

津田久資は、この「言葉への徹底的なこだわり」に、創造性の源泉を見ているけれど、ぼくは(その実態はわからないけれど)感覚として、そのことがよくわかる

組織において、商品コンセプトであれ、組織のビジョンであれ、組織メンバーが一緒に「言葉」を徹底的に議論する。

「言葉」を所与とせず、議論し、互いのズレを確認し、互いの思いを一緒に言葉に込めながら、言葉をつくっていく。

最終的にできあがる/生まれる言葉はもとより、このプロセスのうちに、言葉が現実のビジネスや組織マネジメントにおいて力をもつことの内実がある。

それにしても、「言葉研究所」と呼ばれる所があったということに、ぼくは心地よい驚きを感じる。

そして「言葉研究所」という呼び名が正式な名称ではなく、言葉に対する半端ないこだわりの<結果>として、そう呼ばれていたところに、チームや組織の力があるようにも見える。

「商品コンセプト」というなかに閉じ込められない力を宿していったことは想像に難くない。

 

「言葉」がむずかしい時代に、ぼくたちはいる。

「時間-空間」の論理で見れば、例えば、世代ごとに異なる「言葉」、また異文化で異なる「言葉」という軸でのむずかしさが見てとれる。

また、「虚構の時代」(見田宗介)というように現代を射る視点からは、「言葉」は、人の購買意欲を駆り立て、感情を一定の方向に向かせるような(ポピュリズム的な)役割へと、狭窄化されている。

このような時代にあって、まずは、じぶんの言葉を取り戻し、あるいは構築してゆくこと。

そして、他者とも、そのかかわりあいのなかで、ぼくたちの強い味方となる、共通の言葉を、構築してゆくこと。

言葉を大切にしたいと、ぼくは思う。