2002年の終わりから2003年の中頃にかけて、西アフリカのシエラレオネにぼくは住んでいた。
当時、リベリア難民支援とシエラレオネ帰還民支援というプロジェクトに、NGOの職員として携わっていた。
シエラレオネでは長年の内戦が終結したばかりで、難民となっていた人たちの、村々への帰還が進んでいたものの、隣国リベリアでの内戦は続き、リベリアからの難民がシエラレオネに押し寄せていた。
ぼくは、そのような「現実」の前に圧倒されながらも、持てる頭脳と体力で、全身全霊で仕事にうちこんでいた。
ぼくがシエラレオネに入ったときは、国連の平和維持軍も展開しているときであったけれど、それなりに(相対的に)「落ち着いている」状況であった。
難民キャンプに避難している人たちの生活も長期化により、「日常化」するようなところもある。
国連やいろいろなNGO団体がともにかかわる難民支援においてはさまざまな支援活動が展開され、日々生活するための「ベーシック・ニーズ」の提供だけでなく、心身の健康のための活動などもさまざまに企画される。
そのような活動のひとつに、サッカーイベントがあった。
とても簡易な形だけれど「サッカー場」を準備し、サッカーができるようにする。
文字通り、生きることに精一杯でありつづけてきた人たちの日々に、光が灯るようなイベントだ。
記憶が定かではないけれど、そのようなサッカーイベントの話が出ていたころに、野原をそのまま小さなサッカー場としたような場所で、ぼくはスタッフの人たちなどとサッカーボールを蹴った思い出がある。
何らかの用事でぼくはその場所に赴き、その日の仕事が終わったころに、シエラレオネのスタッフの人たちに誘われて、一緒にサッカーをしたのだ。
大学に入ってからも、友人たちに誘われて、ときおり東京でフットサルをやっていたぼくであったけれど、アフリカの人たちとサッカーをするのは初めてのことである。
サッカーのワールドカップの試合などを観ていて、アフリカ勢の選手たちの身体能力の高さには驚きを抱いていたから、ただの遊びでするサッカーとはいえ、ぼくは好奇心と怖れを同時に感じることになる。
そんな気持ちを抱きながらも、「何事も体験」と、ぼくは参加する。
参加人数はそれほど多くないけれど、二つのチームに分けて、試合形式でサッカーを始めることになった。
案の定、シエラレオネの人たちの動きは目を見張るもので、動きの「速さ」、それから身体の柔軟性とダイナミックさと強さに、ぼくの身体がまったくついていかない。
それが、特定の誰かということではなく、皆が皆、そのような動きだから、まったく油断できない。
どのくらいプレーしただろうか、ぼくは、早々にプレーから引き上げることになってしまった。
ちょっとした体験であったけれども、野原のような広場でシエラレオネの人たちと一緒にしたサッカーは、アフリカの<パワー>に触れる出来事のひとつとして、ぼくの記憶に刻みこまれている。
サッカーのワールドカップで、アフリカ勢の動きを見ながら、ぼくは、アフリカの独特の<パワー>に魅せられたときのことを、思い出す。