「仁義」ということを「大道」(老荘思想)の水面にうつしてみる。- 見田宗介が読みとる人間の歴史と仁義。 / by Jun Nakajima

見田宗介著作集を読み返していたら、以前はさっと読み進めていたのだろうけれど、今読むと、ぼくに「せまってくる」エッセイがある。

「仁義について」というエッセイで、初出は1972年となっている(見田宗介『定本 見田宗介著作集X』)。

当時の若者たちのあいだで、「義理人情」があらたに人気になっている状況で書かれ、しかし、ミクロとマクロ(超マクロ)を自由自在に行き来する見田宗介の視野は、「人間の歴史」にひろがりをみせながら、この「義理人情」ということに独特の光をあてている。

 

「義」という観念について、古代中国、とくに儒教における「仁・義・礼・智・信」という、日本でもよく知られている徳目から、見田宗介はまずふれている。

この教えに対して、儒教を批判する老荘思想においては、「大道すたれて仁義あり」ということが対置される。

「大道」とは、「人間と自然、人間と人間との原初的な融合・調和の世界」(※前掲書)であるという。

つまり、融合・調和の世界がうしなわれたとき、「仁・義」というものがもちだされてくる。

仁・義がもちだされてくる状況は、すでにして、原初としての「大道」がすたれている状況であるというのである。

 

日本における「義」の観念の展開について、見田宗介はつぎのようにまとめている。

 

 義という観念は日本にきて「義理」として具体化される。それは日本の古代世界が解体し、実力と実力とが相争う武士の時代になって、しかもその武士がたがいに固く結束しなければ生きぬいてゆけないところで、そういう主従や同輩の結合をひきしめるきずなとして発展してきた。「義理」のおきてのきびしさは、暗黙の共同性のいまや解体するときに、実力競争の原理というあたらしい遠心力に対抗するための、集団の求心力のきびしさであった。「義理」が強調されるとき、じつはそこには、謀反へのひそかなおそれがすでに伏在しているのである。

見田宗介「仁義について」『定本 見田宗介著作集X』

 

日本における「義理」ということの展開と本質が、ここに見事にまとめられているように、ぼくは思う。

 

見田宗介は、さらに、「仁義すたれて…」と言葉を紡ぎ、近代社会のシステムを具体的につくりあげてきた「合理と契約」の世界を「…」にもってきている。

このことは、近代・現代社会を生きる人たちにとっても、日常の体験としているところであったりする。

ビジネスや組織を生き、そして語るときに、「仁義の世界」と「合理と契約の世界」を軸にすることがある。

そこからさらに、「合理すたれて…」と、「暴力」が代入される。

こうして、見田宗介は、つぎのように太い線で、人間の歴史をみている。

 

 大道すたれて仁義あり、仁義すたれて合理あり、合理すたれて暴力あり、というふうに人間の歴史はたどった。

見田宗介「仁義について」『定本 見田宗介著作集X』

 

「仁義」ということを手がかりに、この太い線で把握する「人間の歴史」を見晴るかす視野は、鮮烈である。

 

なお、この流れは「太い幹」なようなものであり、仁義や合理や暴力だけがそれぞれの時代を完全に彩っているものではない。

他者たちの言葉にふれながら見田宗介が語るように、いつの時代にも「大道」は生きつづけている。

しかしながら、見田宗介は、「暴力すたれて大道あり」と、流れが円環するかどうかは「よくわからない」と、書いている。

よくわからないけれど、「思う」ところは、若者たちが幻想しているのは、この「大道」であるとしている。

この文章が書かれたときから40年以上経過し、この「思う」ところは、ますます目にみえるようになってきているように見える。

「大道」、つまり人間と自然、また人間と人間の融合・調和の世界をもとめる人たちが、ますます増えてきているのだ。

 

「義理人情」が描かれる世界に、ときおり、ぼくは魅かれてもきた。

昔の時代の日本を描く小説にあらわれる、義理人情の世界に、あこがれのようなものを抱いたりするのだ。

しかし、そのような「義理人情」「義理」「義」などは、ぼくのなかに、拘束されるような息苦しさを感じさせもする。

老荘思想の提示する<大道あり>の視点は、仁義よりも原初のものとして、仁義というものの、この<両義性>をうつしだす水面のようでもある。

ぼくがもとめる、仁義というものの肯定的な側面は、おそらく、「大道」ということのなかにある、人間と自然、人間と人間の融合・調和の世界なのではないかと、ぼくは思ったりもしている。