ニュージーランドで、雨の中を、歩く。- 「徒歩旅行者」にとっての<雨>。 / by Jun Nakajima

ここ香港は、近くに到来した台風の影響もあり、雨が降り注いでいる。

ときおり、激しさを増しながら、香港の大地と海に雨粒を落としている。

先月(2018年5月)後半には、香港の一部の貯水池が干上がってしまっていたことをかんがえると、恵みの雨である。

 

香港で雨が降り注ぐなかで、「ニュージーランドでの徒歩旅行」を思い返していると、雨の中を歩いた記憶が、ぼくのなかにやってくる。

1996年、ニュージーランドで、ぼくはその北端から歩きはじめ、南下していた。

その大半の行路は、いわゆる「国道」で、車が真横を通り過ぎる「ハイウェイ」でもあった。

ときおり、前方にとまった車から、乗車の誘いと励ましという<やさしさ>をうけながら、ぼくは歩いていた。

ところが、ときに雨が降りおちてくると、そのなかを何時間も歩く身としては、とてもたいへんだ。

だから、朝起きて、テントを出て空を眺めることが日課になる。

雨がおちてくるときは、バックパックにカバーをかぶせ、レインジャケットを着る。

途中ゆっくり休むこともできず、雨の中を歩いてゆく。

やがて、雨がレインジャケットを通過して、ぼくの皮膚にまで浸潤してくる。

ぼくは、じぶんに負けそうになりながら、でも雨の中を歩いてゆく。

 

徒歩旅行者にとって、「雨」は、ひとつの恐怖でもある。

宮沢賢治『春と修羅』における「小岩井農場」を分析するなかで、天沢退二郎は「雨のオブセッション(強迫観念)」を見て取っていることに、社会学者の見田宗介は注目している。

「よるべない土地をひとり行く徒歩旅行者」にとって、「いちめん降りおちてくる雨は…じつに全体的なるものそのものの圧倒的な浸潤であり、…やがて全身をそれら「全体」の無言の言葉のむれに浸しつくされざるをえない」と、天沢は徒歩旅行者にとっての「雨の恐怖」をとりあげている(見田宗介『宮沢賢治』岩波書店)。

見田宗介は、さらに「雨」がもつ両義性として、雨が恐怖であると同時にまた、ぼくたちを解き放つものであることを、「小岩井農場」における宮沢賢治の歩行に見ている。

 

『小岩井農場』の歩行において、賢治のじぶんにいいきかせるような否定断言にもかかわらず、…パート七ではもうすきとおる雨が降っていて、パート九では詩人はすでに全面的にこの雨に浸潤された風景を歩む。そしてこの雨に、詩人が何よりも恐れていたこの雨に浸潤されつくした空間の中ではじめて、詩人はこの歩行の旅で真に求めていたものを手に入れることができる。すなわちユリア、ペムペルと、<わたくしの遠いともだち>と出会うのだ…。

見田宗介『宮沢賢治』岩波書店、1983年

 

<雨>のもつ両義性は、<自我>の両義性の裏にほかならないことを、見田宗介は明晰にみてとり、つぎのように書いている。

 

…雨は詩人の自我をその彼方へ連れ去る全的で圧倒的な力の表徴に他ならなかった。そしてこのような<雨>の恐怖と驚異とは、宮沢賢治の、風景に浸潤されやすい自我、解体されやすい自我の不安と恍惚の、さかだちした影に他ならなかった。

見田宗介『宮沢賢治』岩波書店、1983年

 

思い起こすと、ぼくの歩行も(そして自我も)、この「両義性」のなかに投げこまれていたように、感じてくる。

雨の降りはじめは雨に抵抗する仕方で雨に対峙して歩いていたところ、やがて、いちめん降りおちてくる雨のなかに、じぶんがすっぽりと入りこんでしまっているところにきて、そんな抵抗感がほどけていく。

その風景と雨にとけこんでゆくような、そんな幻視をおぼえる。

 

いつもそうだった、ということではない。

一度は、雨のハイウェイを歩行しつづけて、やっとのことで街にぬけたとき、ぼくの体調がくずれかけたこともあった。

そんなとき、宮沢賢治の詩にあるように、「雨ニモマケヌ」身体を望んだりしたのだった。

 

なにはともあれ、<雨>の両義性のこと、また<自我>の両義性のこと、さらにはそんなことを教えてくれた見田宗介の著作群に出会ったのは、ぼくがニュージーランドから帰国してからのことであった。

ニュージーランドの国道を南下しているときは、「あの」幻視を身体で感じただけであり、この「あの」を幾分か言葉化するまでにはそこから数年がかかった。

でも言葉化以上に、「あの」体験がこの身体に刻みこまれたことが、ぼくにとっての徒歩旅行で得たことのひとつであったと、ぼくは思う。