東ティモールで心を揺さぶられた「挨拶」について書いたブログで触れた本、竹内敏晴『「からだ」と「ことば」のレッスン』(講談社現代新書、1990年)。
この本を読んでいて、竹内敏晴(1925-2009)自身が「ぎょっ」となったように、ぼくも「ぎょっ」とした。
それは、ルソーの晩年の作品『孤独な散歩者の夢想』における、つぎの箇所を読んだときのことである。
竹内敏晴はその箇所を読んでいて「ぎょっ」としたと書いていて、ぼくも「ぎょっ」として、すぐさま『孤独な散歩者の夢想』の本をひらいて、その箇所を読み返してしまった。
…人間の自由は、自分の欲することをなすことにあるなどと、僕は一度も思ったことはない。ただ、自分の欲しないことをなさないことにあると思っている。
ルソー『孤独な散歩者の夢想』青柳瑞穂訳(新潮文庫)
「したいことをすること」に人間の自由があるんじゃないかと思っていた竹内敏晴と同じように、ぼくも漠然と、「自由」という近代を導く理念が、この理念の生成に多少なりとも影響を与えたであろうであろう人物によって、「したいことをすること」の方向に(も)語られていたのだと思っていた。
「自由論」ということを研究していたときがぼくにはあって、その記憶では、西洋的な歴史の文脈においては、たしかに「~からの自由」、いわゆる「消極的な自由」が表舞台に出てきていた側面がある。
「~への自由」という「積極的な自由」は、ときに危険なものとしてかんがえられたりしてきた。
ルソーは、自由という言葉が観念論におちいる手前のところで、そのことを、実際の「関係」のなかで、たとえばじぶんが社会から放逐されたという状況のなかで語っている。
孤独な散歩者の夢想として。
…この自由のために、僕は同時代人から最もはなはだしく誹謗を受けもしたのである。つまり、活動的で、撹乱的で、野心的な彼らとしては、他人のうちに自由を憎み、自分自身に対しても自由を欲することなく…一生涯、窮屈を忍んでも自分のいやなことをなし、命令するためには、どんな卑屈なことも辞さなかったのである。だから、彼らの過誤は、僕を無益な一員として社会から遠ざけたことでなくて、有害な一員として社会から放逐したことだったのだ。
ルソー『孤独な散歩者の夢想』青柳瑞穂訳(新潮文庫)
このような文脈のなかに、ルソーは、人間の自由は、「自分の欲しないことをなさないことにある」と語っている。
消極的自由(~からの自由)は、たとえば政府や制度や他人から干渉されない自由であり、ルソーの語る「人間の自由」は、他者たちからの自由に加えて、<じぶん自身からの自由>とでも呼ぶべき自由を含んでいる。
そのことは上にとりあげたルソーの文章において、ルソーと対置されている「彼ら」の特徴と比較することで見えてくる。
「彼ら」は、「他人のうちに自由を憎み、自分自身に対しても自由を欲することなく…一生涯、窮屈を忍んでも自分のいやなことをなし、命令するためには、どんな卑屈なことも辞さなかった」ような人たちである。
ここで「彼ら」は、じぶん自身を押さえ込み、抑制・抑圧していくものたちである。
ルソーの視点からは「人間の自由」がないもの、つまり「欲しないことをする」ものたちである。
そういう「彼ら」が、「他人のうちに自由を憎み、…命令をするためには、どんな卑屈なことも辞さなかった」という描写は、現代にも通じることを語っているように見える。
養老孟司が、インタビューの中で語っていた言葉が、ぼくのなかで重なってくる。
…日本は律儀な社会です。それが裏返って気持ち悪いことになるのです。自分が我慢してやっている人は他人にも我慢させる。それが怖いんです。…この強制が日本の場合、一番キツいですね。
養老孟司インタビュー「煮詰まった時代をひらく」『現代思想』2018年1月号
「近代」の創世記にルソーによって語られていた「人間の自由」のことが、「近代」の原理が成熟してきた現代という時代においても、あるいは現代という時代だからこそ、その「意味」が表出されるようなところにきている。
ところで、冒頭の竹内敏晴がルソーの言葉に「ぎょっ」として出会って、「からだ」と「ことば」という次元において「自分の欲しないことをなさないこと」のことばをかんがえつづけたなかで、どこに「方向性」を見出したのか、このことは別のブログで書こうと思う。