中原中也の書く「宮沢賢治の世界」。- もし宮沢賢治が芸術論を書いたとしたら。 / by Jun Nakajima

世界を生きてゆくうえで、たとえば、宮沢賢治の『春と修羅』のようなことばたちと共にあることが、ぼくの生を支えてくれる。そんなふうに思うときがあることを書いた(ブログ「世界に生きてゆくうえで、たとえば、宮沢賢治『春と修羅』の「序」のことばと共にあること。」)。

ここでいう「世界」は、ぼくがこれまで暮らしてきた西アフリカのシエラレオネであり、東ティモールであり、それから香港を、直接的に思いながら書いていたのだけれど、さらには、そのような地理的な空間のひろがりだけに限られることなく、ひとがひとりひとり、それぞれに生きてゆく<世界>というようなことも意識しながら書いた。

そのように、ひとがそれぞれに生きてゆく<世界>というように視界をひろげてみるとき、「宮沢賢治の世界」を生きるうえでの支えのようなものとしてきた人に、詩人の中原中也(1907-1937)がいる。


中原中也は、宮沢賢治『春と修羅』の「十年来の愛読者」であった(中原中也「宮沢賢治全集刊行に際して」「宮沢賢治全集」)。

宮沢賢治がひろく知られるようになるまえから、宮沢賢治の愛読者であった中原中也の書いたもののなかに「宮沢賢治の世界」という文章がある。とても短い文章だけれども、宮沢賢治の作品の本質、あるいは「宮沢賢治の世界」を通した芸術論を鮮烈に書きしるしている。

「宮沢賢治の世界」は、はじめの文章で、「宮沢賢治の一生」をつぎのように集約している。


 人性の中には、かの概念が、殆んど全く容喙出来ない世界があって、宮沢賢治の一生は、その世界への間断なき恋慕であったと云うことが出来る。

中原中也「宮沢賢治の世界」青空文庫


すごい文章である。「かの概念が、殆んど全く容喙出来ない世界」をこれほど集約させて書きながら、宮沢賢治の作品の本質とつなげてゆく様に、ぼくはいっきにひきこまれてしまう。


こう書き出しておきながら、このような世界に恋慕した宮沢賢治が「もし芸術論を書いたら」と仮定し、芸術論のいくつかをノート風に箇条書きで書きつけている。おもしろい試みである。

箇条書きで6つの短いノートを書きつけてから、中原中也はこの短い文章を、つぎのように書き終えている。


 芸術家にとって世界は、即ち彼の世界意識は、善いものでも悪いものでも、其の他如何なるモディフィケーションを冠せられるべきものでもない。彼にとって「手」とは「手」であり、「顔」とは「顔」であり、即ち名辞するとしてA=Aであるだけの世界の内部に、彼の想像力は活動してゐるのである。従って彼にあっては、「面白いから面白い」ことだけが、その仕事のモチーフとなる。

中原中也「宮沢賢治の世界」青空文庫


「面白いから面白い」ことだけが、芸術家の仕事のモチーフになる。

「宮沢賢治の世界」のはじまりの文章も鮮烈であったけれど、さいごの文章も鮮烈だ。「面白いから面白い」ことだけが、芸術家の仕事のモチーフになる。ぼくはこのことばをなんどか、黙読する。

中原中也は詩人という芸術家を意識しながら芸術論として書いている。でも、ここでふれられる「芸術家」は、いま、この現代にあって、いかなるひとをも名指す名詞であるようにも、ぼくには見えてくる。

「面白いから面白い」ことだげが、これからの時代の生きることのモチーフとなってゆく、と。