「雨粒」がぼくのうえに落ちてくるとき。- B.J. Thomasが歌う「Raindrops Keep Falling on my Head(雨にぬれても)」。 / by Jun Nakajima

今日もここ香港は、午後に入って、少しづつ雨が降りはじめる。降りはじめのころは、雨粒を「雨粒」として感じることができるほどの、やわらかな降雨である。

「雨粒」といえば、B.J. Thomasが歌う名曲、「Raindrops Keep Falling on my Head」(「雨にぬれても」)が思い浮かぶ。

1969年のアメリカ映画『Butch Cassidy and the Sundance Kid』(邦題『明日に向って撃て!』)のために、(あの)バート・バカラックによって作曲された曲である。その後、いろいろな人たちによってカバーされ、いろいろなところで使われてきた名曲だ。

ぼくにとっては、映画『フォレスト・ガンプ』のサウンドトラックが身近である(けれども、どの場面で曲がながされていたのかはまったく思い出すことがきない。ちなみに、サウンドトラックの曲名を追っていたら、別のブログでとりあげたWillie Nelsonの名曲「On the Road Again」も『フォレスト・ガンプ』で登場していたことを発見しました)。

そのほか、この曲名(日本語)は、作家の上原隆が著書『雨にぬれても』(幻冬舎アウトロー文庫)で借用しているのを、この本を最近読んでいて知った。

この曲はその時代を生きてきた人たちそれぞれに、それぞれの「思い出」が重なっているようだ。

ぼくは、ときおり、この曲を無性に聞きたくなることがある。

この曲の「世界」が、ぼくの情緒世界と深く共振するようだ。曲ができるまでには紆余曲折があったようだけれども、B.J. Thomasの歌声が絶妙な仕方で曲調にマッチしている。なお、似たような感覚を、Gilbert O’Sullivanが歌う「Alone Again (Naturallu)」を聞くときにもぼくは覚えることになります。


曲名「Raindrops keep fallin’ on my head」と同じ歌詞以外は、注意して聴いたことがなかったのだけれど、味のある歌詞である。

たとえば、次のように歌われるのだ。


It won’t be long till
Happiness steps up to greet me

Raindrops keep fallin’ on my head
But that does’t mean
My eyes will soon be turnin’ red

B.J. Thomas『The Very Best of B.J. Thomas』 (Drew’s Entertainment)  ※Apple Musicより


幸せがやってくるまでは遠くないのだと、つまり今は大変なんだと、この歌の「物語」が伝えられる。英語では、「幸せがやってきて(step up)わたしに挨拶してくれる(greet me)までは遠くない(won’t be long till)」と、素敵な表現が使われている。

でも、ぼくにとっては、ゆっくりとしたアップテンポの曲と「Raindrops keep fallin’ on my head」という歌詞だけで、ぼくの世界との共振を感じることができる。それは、ぼく自身にとっての「解釈」によって醸成される世界なのだけれど。


雨粒が、ぼくの頭のうえに落ちてくる。

「幸せがやってくるまでは遠くない」というよりは、それはそれで、幸せなときなのだ。

ただ、雨粒が、ぼくの頭のうえに落ちてくる。